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明日の保証は無い。

雨がひどい。
テレビを見ていても、豪雨災害のニュースがひっきりなしに報道されている。
茶色く濁った水が、流木と車と、なんでもかんでも一緒くたにして橋も一緒に押し流している映像。
住宅街まで濁水が流れ込み、まるで海の中にぽつぽつと家が浮いているかのような映像。

繰り返し繰り返し、同じ映像が流され、繰り返し繰り返し見ているのだけれど、そのたびに「うわぁ、すごいな……」という感想しか出てこない。
テレビの前の安全な空間でその映像を見ていて、何一つ力にはなれない。

ちょうど一年ほど前の九州北部豪雨災害のときもそうだった。
自然の力を前に、人は為す術もなくて。
そして、その場にいなければその人達と同じように感じることは出来ない。

ただ、メディアだけが"これは本当に身近で起こったことなんだ"ということを知らせてくれる。
新聞を一面覆う写真。
濁水を前にただ立ちすくむ人、祈る人。
そこからは、胸のあたりを誰かから押さえつけられているような、なんとも言えない小さな息苦しさのようなものが感じられる。
圧倒的に、自分の無力さを感じる。

偶然、数日前にこんなことを書いていたけれど、本当に、明日自分に何が起こるのかなんて本当のところ誰にも分からないし、だからこそ良い明日を願って今日を生きるだけだな。

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