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xRと移動「インタビューから得た未来の移動の価値ヒント / 制御できない事を楽しむ」

こんにちは ちみやです。
私はxR(VR、AR、MRなどの総称)技術がもたらす未来の移動とコミュニケーションの価値変化について探索を行っております。

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xRが普及した時代での、現実に移動する価値について、私は「セレンディピティ×アクセシビリティ」が必要だと考えています。それについて以前、様々な方の意見を聞きましたので、今回はそこで得られた気づきについて紹介します。

理想的じゃない状態を楽しむ

ProjectJAPANELANDなど、フォトグラメトリ(※)を用いた作品を多く公開されているVoxelKeiさんに、「現実の移動」についてお聞きしたところ、以下のようにおっしゃってました。

 現実の移動では理想的じゃない時も楽しみたい、曇りとか雨とか。
 VR空間内だと常に理想的になってしまうから。
旅行で行った先でフォトグラメトリを作成し保存する。
保存したフォトグラメトリのワールドには旅行で一緒に行った人とは、また別の人と訪れ、楽しむようなことをしている。

※フォトグラメトリとは、写真から3DCGを生成する技術です。
参考)みんなの首里城デジタル復元プロジェクト

過去の自分の体験から振り返る

私は、以前の記事で、「VRのヘルシンキと現実世界のヘルシンキを比べて、良かったのは理想的な状態であったVR」の方と書きました。

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(ヘルシンキ滞在1日目 雨と強風と寒さに泣かされる)

その時の素直な気持ちでそう思ったのですが、先ほどのお話を聞いて考えが変わりました。理想的な状態はインターネット上にコンテンツとして溢れている時代になった時、現実で移動することの価値の一つは自分だけの体験をし、それを保管することだと考えるようになりました。

雨や風などの自然、偶然近くにいた人、忘れ物のような思いがけぬ失敗のように制御できない要素を味わい、思い出として残すために人は現実に移動するようになるのではないでしょうか。

上でも「寒さに泣かされる」と書きました。現地にいた時はたまったもんじゃないと思っていたものの、思い返せば人にヘルシンキ訪問の事を話す時に、寒さの事や強風で傘が折れたエピソードなどをよく話しています。

また別のエピソードですが、以前富士山の近くのキャンプ場に行きました。
1日目はずっと曇っており、富士山を見ることはできませんでした。

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翌日の早朝、天気予報に一瞬だけ晴れマークがあるのを確認し、夜明け前から起きて富士山が現れるのを待ちました。

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期待通り雲はなくなり富士山を拝むことができました。
結局晴れたのはこのひと時だけで、日中の富士山を見ることはできずその時は残念な思いをし、数ヶ月後に理想的な富士山を見るためにリベンジをしました。

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上記のエピソードは1年前のものです。その当時はもう一度現実に訪れるという選択をしました。しかし理想的な環境で富士山を見ることができるVRコンテンツがある時代になれば、理想的な富士山はVRで楽しめば十分満足できるような気がします。
それよりも晴れ間をずっと待ち、早朝の風の冷たさの中薄暗い中から徐々に見えてくる富士山、という体験の方が価値を感じます。

また、フォトグラメトリのような空間を保存する手法はこの自分だけの体験する嬉しさをより強化してくれるものだと考えています。
上記では写真を交えて紹介しましたが、フォトグラメトリがあれば、自分だけの体験を他の人にも追体験してもらいながら紹介することができるからです。

まとめ:偶発性を楽しむために人は移動するようになる

ポストカードや旅行雑誌の写真のような完璧な状態を保存したVRコンテンツがいつでも楽しめるようになった時代はすぐ来るでしょう。

その時、VRと同じ理想の状態を自分の目で見るために移動するのではなく、天候など理想の状態とは外れた、自分の旅行だけで起きた一期一会の出来事を楽しみ保存し、後から楽しんだり人に紹介したりするようになるのではないでしょうか。

それってVRではできないの?

偶発性や制御できないといった要素を紹介しましたが、一方でこうした要素はVRでも再現可能なように思います。
メディアアートでは決められたパターンを表示するのではなく、ランダムな値で生成することにより、二度と同じを見ることができないものも多くあります。

そうした技術を用いる事で、VRの中の世界でも偶発性・理想的じゃない状態を楽しめる可能性もあります。

一方で、私個人の感覚としては上記の富士山でしたような体験をVRのコンテンツでもできるかと言われると難しいです。
半日以上、理想的じゃない状態を許容できるか、制御することができないコンテンツに飽きて別のコンテンツへ移動しないか、制御できないことを納得できるかどうか…。

「本来制御できるはずのものが意図的に制限されている」という状態を許容するのは難しいように感じます。ゲームのチートコマンドを使って天候を変えるようなことを望んでしまいそうです。

やはり、自然の出来事や他人のような、自分ではどうしようもならない事象が相手だからこそ、不確実性を楽しめるように思います。

今回、VoxelKeiさんのインタビューから感じた事を紹介しましたが、皆さんの中には別のご意見をお持ちの方もいると思います。是非コメントやDMなどで意見を紹介いただけると嬉しいです。
※Twitter始めました。

※本投稿は株式会社デンソーデザイン部の自主研究活動であり、
弊社の開発案件や事業をご紹介するものではありません