の は ら



カナがいじられる理由は片手の指では数えきれへん。男やのに女みたいな名前や。ほんでどんくさい。ズボンからいっつもしょんべんの匂いがする。すぐ鼻くそほじって食べる。筆箱の中にひらった虫入れてる。それも死んでるやつ。あと、これはみんなあえて言わへんけど、日本語が下手や。 とにかく全部がなんかおかしい。 
せやから、カナの筆箱かくしたり、背後から飛びげりかましたり、ランドセルうばって中に砂注ぎ込んだりするんは当たり前のことやった。 俺も最初はそうやってやっててんけど、担任の山田先生から「お前家近いんかやら、よろしく頼むで」言われて、よろしく頼まれた手前、直接的にはかなに手ぇ出さへんようなった。

その頃の俺の口ぐせ、おもんない。いじめるやつおもんない。いじめられるやつはもっともおもんない。たぶん俺もおもんない。野球クラブもおもんなくなってサボるようなって、そしたらかいつの間にかカナと一緒に帰るようなっとった。一緒に帰るゆうか、時間と方向が一緒やねんからしゃあない。
カナは俺が心許したとかん違いして、話しかけてくる。日本語下手やから半分も聞き取れやんけど。「きょおはうちどぅどぅんばでん。ええやろ。デデビのデデルデデルドウダンびでる?ダダシく、なあ、ダダシく」あーあーせやな。あれおもろいな。って、俺が適当に返したらカナはさらにたたみかけてくる。  

いっつもそんな調子やってんけど、あるときなんか、カナが突然道ばたでランドセルひっくり返した。犬を散歩してたおばちゃんがけげんそうにこっち見てる。俺はギョッとして、何やっとんねん見られたら俺がなんかやった思われるやろ、てカナの背中叩いて一緒に教科書拾ったった。カナはへにゃっと変な顔になって、多分笑ったんやと思う。
それから、「ダダシく、こでれきる?」ゆうて、まだ一学期やのにボロボロなった国語の教科書を開いた。指で輪っか作って、「のはら」って字の上に置く。そしたら、「の」と「は」と「ら」の文字が紙からぺりぺり剥がれて……カナの指の輪っかをくぐってお好み焼きのかつぶしみたいに紙の上で踊りだした。   

なんやこいつ、気持ち悪っと思いながら、俺の口は「そんなん誰でもできるわ」と言っていた。 カナはびっくりしたみたいで、ほっぺ真っ赤にして「ダダシく、かんでぃできる? ぼくひらがなしかできへん。ダダシく、かんでぃやって」て教科書を俺に突き出す。紙の上で「の」「は」「ら」が踊り狂ってる。俺はなんか馬鹿にされた気がして、目の前に差し出された教科書のページをつかんで破った。  

紙は踊るわけでもなく、束のままでアスファルトにばさっと落ちた。 頭がクラクラして、心臓がジクジクして、やってしもた、と思った。せやのに口だけは「ほら、これでええんやろ」て捨て台詞吐いて、そのままカナの顔見やんように、振り向かんように早足で帰った。   家に帰っても教科書を破った時のビワビワした感触が気持ち悪くて、手のひらを見たら「の」「は」「ら」がこびりついてた。もう動いてない。足が伸びきって、黒いシミが手のしわに沿ってにじんでる。どう見ても死んでた。洗面所で何回も手え洗った。感覚がなくなるまで。   

それきりカナとしゃべることもなくて、下校時間も俺がわざと遅く帰るようにした。 カナはますます孤立していって、そのせいかわからんけど、授業中でも構わず教科書の文字を踊らせるようになった。
カナがトイレ行ってるすきに教科書をチラッとのぞくと、セロテープでべたべた貼りつけたページの上で、踊ってる文字とか踊り疲れた文字とかがめいめいバラバラに手足を投げ出して、カナのしゃべる日本語みたいやった。それどころか、ノートの文字も踊らせたみたいで、ノートの中にいきなり活字のむれが現れたり、教科書の1ページが、多分日本語じゃない、カナの汚い手書き文字に占領されてたりした。カナの頭の中みたいや。

おもんない。  

見てるうちに俺はまた頭に血が上って、その教科書とノートを窓からほかした。 窓から下見たら、運動場の砂の上で2冊の紙束の周りに黒い点々がしぶきみたいに散らばってる。  
どやみんな。やったったで。  
教室の方に向き直ったら、みんな俺の方見てて、誰もなんも言わへん。いっつもやる側のくせに何シラけとんねん。  
入り口に山田先生とカナが立ってる。二人はまっすぐこっちに向かってきた。  カナはまっすぐ俺の目を見ながら、
「先生、たかしくんが僕の教科書とノート窓から投げました」
て言った。  
山田先生は目を真っ赤にして、無言でうなずいた。なんでお前が泣きそうやねん。  

 カナの机の上で、教科書に戻りそこねたたんぽぽとか、俺の知らん文字とかが死んだみたいに黙りこんでる。


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