30代、コンサルから転職を機にNoteはじめました(自己紹介記事)
人生2回目の転職を目の前にし、齢30を過ぎて記憶能力が低下してきた(気がしてならない)ので、自身の記憶のアウトソースとしてNoteを使ってみたいなと思い、ついでに文章化能力を鍛える期待を込めて。。。
Noteはじめます!!!(大声)
やり始めるにあたって、次のようなことを書き綴って(書きなぐって)いこうかと。
・読書のアウトプット
・世の中の事柄に対するキャッチアップと所感
・仕事に関すること(仕事術・価値観・夢などなど)
・趣味(何書こうかな)
要は、その時に自分の感じていることをスナップショット的に書き記すことで、自身の頭の整理と、あわよくば読んでくださっている方に良い影響を与えられればいいなぁと思っているところです。
~自己紹介~
これまでの地震の足跡を振り返ると、論語で言っているような流れになっていて驚き。
子曰わく、吾 十有五にして学に志す。
三十にして立つ。イマココ!!!
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)う。
七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。
~中学時代:医者になりたい~
自分の将来の夢は?と聞かれても「う~ん、なんだろう」となるであろう幼少期から、医者になりたい!と思っていました。
思い返すと理由は、
・自身が喘息持ちで病院にお世話になりまくっていた
・人のためになることがそれしか思いつかなかった
・勉学には多少の自信があった
・(お金持ちになりたい)
・医療ドラマブームの影響
ところだったのかなと。
後述しますが、実は自分のキャリアの根底には、このころに思い描いていた「人のためになること」があることに、
振り返ってみると驚きがあります。
~高校・大学時代:そうだ、医療技術を学ぼう!~
なんとなく医者になりたいなぁと思っていた高2の夏。
京大の田畑教授(高校のOB)の特別教室で言われたことが、
医者は生涯で数万人しか治せないが、医療技術を開発できればその何千倍もの患者を救える
と聞き、
これだ!!!!
と思って思い切って京大を受験、ちゃっかり合格してしまい、
そのまま再生医科学研究所の研究室の門戸を叩くことに。
バイト・研究の2つの車輪は結局うまく回せなかった気がしますが、
大学院を4位の成績で卒業できたのは超ラッキーだったなと思います!
論文もFirst Authorで出させてもらい、大きな経験ができた超濃い大学院時代を過ごしました(論文載せとこ)
順風満帆とは言えなかったですが、何とか大学院を切り抜けて就活で縁のあったとある医療機器メーカーに就職。基礎研究よりもより患者に近いところで仕事ができることに期待を込めて、、、(そこから転職しちゃった理由は後述)
~医療機器メーカー時代:ビジネスとして医療技術を広げたい~
医療機器メーカーに就職後、医薬品の製品開発部門に配属され、免疫検査用医薬品を設計開発に従事。
その中で、商品のPLM(プロダクトライフサイクルマネジメント)に関わるあらゆることを業務の中で体験してました。(新規商品設計・試作・量産設計・アフターフォロー・薬事申請・海外販売支援etc・・・・)
当初の目的であった、医療技術の開発には従事できていたものの、とある思いがよぎり。。。
創業数十年の会社のオペレーション、雁字搦めでやりにくいなぁ。。。
医療機器というメーカー特性上、規則を作り則ることは非常に重要なんですが、昔からの積み重ね積み重ねで規則ができていた(と思っていた)ので、モノづくりの根幹が非常に窮屈だなと感じたんですよね。
モノづくりの根幹が窮屈ということは、利益の源泉たる設計開発・量産の動脈が詰まること、即ち、いち法人としての体力・能力低下に繋がることになるのでは、と思ったのが初めての転職を決意したきっかけです。
一人の人間に疾患があるように、一人の法人にも様々な疾患がある。それを治す方法を知りたい。
これが、研究職からコンサルへの(半ば強引な)キャリアチェンジの根底にあったと思っています。
(元々医者になりたい→医療やらなきゃ!と思っていた気持ちが変革した瞬間)
~外資系コンサルティングファーム時代:そもそものビジネスの疾患を治したい~
勢いで外資系コンサルファームに入ることができ、オペレーションコンサルタントとして従事していました。
ここでもかなーーーり幅広な経験を積みましたね。。(遠い目)
一番印象に残っているのは、コンサルとして初めて従事したプロジェクトで、とある製造メーカーの物流拠点へのシステム導入でした。
そこでは、システム導入に向けて拠点業務を見える化し、システムに業務を合わせるところ、業務にシステムを合わせるところ、実際のトレーニングを含めた運用指導などに取り組みました。(細かい話は後日Noteに書くかも)
そのあと、ERP導入PJや先端技術導入支援PJなどを経験していくのですが、コンサルタントとして業務をしていく中で思い出したことが、
医者は生涯で数万人しか治せないが、医療技術を開発できればその何千倍もの患者を救える
の言葉でした。
コンサルティングの業務は、基本的にはクライアントの課題解決を推進することであって、そこには医者と患者のように1:1の関係が発生しています。
もちろん外資系ファームだったので、クライアントは業界最大手の超大企業が多く、プロジェクトとしてそこに入り込むことがメインです。
でもそれって、
クライアントの課題(疾患)は解決することはできても、その背景にいる中小企業達は置いてけぼりになって、日本の産業全体をとらえたうちの個別最適を図っているに過ぎないのではないか。産業全体の改革に取り組まないといけない、製造業すべてをひっくるめてよりよくしていきたい
と思ったのが2回目の転職の契機でした。
~その先のキャリア:スタートアップ(キャディ)への挑戦~
製造業全体の改革に取り組みたいなと思っていたところ、
とある企業から面談オファーが届きました。
その中の一節に、
モノづくりに携わるすべての人が、本来持っている力を最大限に発揮できる社会を実現するために、
テクノロジーを用いた「新たな仕組み」で日本のモノづくりを改革します。
小さな町工場も、歴史ある大規模メーカーも、すべてのモノづくり企業が強みを最大限活かすことができれば、
停滞する日本の未来を切り拓く一助になれるのではないか。
そんな志を持って、大きな目標を掲げて挑み続けています。
この文面を見たときに、ビビッと来てここに行こうと決めました。
もうここじゃん!!って思いましたww
100年で形成されてきた製造業のピラミッドの負の構造からくる課題(疾患)を、技術と仕組みでひっくり返す、途方もないチャレンジをやってやろうと思います!!!
そんな熱い会社がキャディ株式会社(https://corp.caddi.jp/)
です!気になった方はぜひ見てみてください!
転職の詳細はまた後日、別の投稿で記載しますね。
~実は変わっていない自身の志向~
ここまで振り返ってきて思うのが、自身の志向が変わっていないことです。
医者(患者との1:1)
↓
医療機器メーカー(患者との1:N)
↓
コンサルタント(法人との1:1)
↓
プラットフォーマー(法人との1:N)
志向:自分の影響範囲を広げていき、そこに生活する人々を救っていく
幼少期に思っていた、「人を助ける」というタスクをより幅広く対処していくような動きをしてきています。
30代の挑戦として、日本の製造業の再興を引っ張っていくチャレンジングなことをやっていこうと思います!!
(記事書いているのがAM1:00なので深夜ハイテンションなのはお許しください)
めちゃくちゃ長文になってしまいましたが、よろしくお願いします!
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