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働きながら、大学院生になることを決めた理由

自己紹介

はじめまして。出野千夏(いでの ちなつ)と言います。

1995年生まれ。静岡県出身。7歳から18歳まではバスケットボールをやってきました。

さっそくではありますが、私はテーマにある通り、2021年4月から日本福祉大学院国際社会開発研究科の修士課程に進学し、開発学を専攻。そして、2024年3月に修了しました。

これから次のステップへと進むため、頭の整理も兼ねて、働きながら大学院生になることを決めた理由と、私の今までの経験を書き出していきたいと思います。

働きながら、大学院生になることを決めた経緯や理由

小学3年生の時の担任の先生が、青年海外協力隊でタンザニアに派遣されていたこともあり、よく活動地域で起きたことを話してくれました。それが、海外には学校に通いたくても通えない子供であったり、満足にご飯を食べられない子供がいることを知るきっかけになりました。

何かできることはないかと漠然に考えていた時、学校ではユニセフ(UNICEF:国連児童基金)の募金活動が行われていたこともあって、両親からもらったお小遣いを募金に回していましたが、それだけでは収まらず、母に「もっと募金したい」と相談をしたら「自分で働いたお金でできるようになりなさい」と言われたことを今でも覚えています。

それだけ当時の私にとっては、海外にそんな世界があるということがショックな出来事だったのだと思います。

それでも当時は、どんどん上手くなっていくバスケットが楽しくて続けていましたし、高校では少し感覚が変わってきて、スポーツ推薦で進学した責任感や家族の期待に応えたいという使命感が大きく、インターハイ出場という目標に向かって日々バスケ漬けの生活をしていました。

そして高校3年生の夏、バスケットを続けることを辛く感じていて大学でも続ける自信がなくなっていた頃、とりあえず一般受験で大学進学を目指していくことになりました。

問題の専攻については心理学科と迷っていましたが、母の「あなた『ユニセフ』に興味なかった?」という助言もあって、それに近しいことを勉強をするために、国際地域開発学科というところに進学させてもらうことになりました。

大学時代は、日雇いや飲食店のバイト、サークル、発展途上国のスタディーツアー、大学主催の海外研修、国際協力の分野の学生団体、企業インターン、学生起業、14カ国をバックパックで旅行するという日々で、本当にしっかり大学生活を楽しんでいました。(笑)

そのため、企業分析など一般的な就職活動をすることもなく、インターンからそのまま今の、医療系IT企業で働き始めることになりました。

働き出してしばらく経つと、誰もが思うのかも知れませんが「このままでいいんだろうか」と不安に駆られ、何か新しく始めなければ、と思うようになりました。

そして、大学時代の恩師や友達、家族に相談する中で「いま興味のあること」「たてに積み上げることができること」を軸に考えていたら、新卒の時期から仕事とは別に、宣伝会議「編集・ライター養成講座」を受講したり、そこで繋がった方々と業務委託でライターをやってみたり、国際協力に興味をもっている方々が集まるサロンに入って同世代の人たちと勉強して実際にプロジェクトを立ててやってみたり、JETRO主催のIDEASで英語の講座を受けてレポートを書いたり、本当に色々なことをしていました。

その中でも働きながら大学院に進学すること、すなわち仕事と興味があってかつ専門性を身に付けられていった方がキャリアアップに繋がるのではないか、夢や目標が明確になるのではないか、答えもなく先の見えない将来への不安が消えるのではないかという思いから、2021年4月に社会人大学院に進学することを決めました。それが24歳の時です。

次回は、大学院進学から卒業までの3年間(25~28歳)を書き出していきたいなと思います!

※2024/7/21 更新

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