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筒井康隆『ジャックポット』レビューエッセイ


お久しぶりです。タノミノです。最近小説を書けなくなってしまったので、エッセイを書こうと思いましたが、これもまた書けないので、エッセイ風の小説レビューに初挑戦しようと思います。

筒井康隆さんのジャックポットです。面白い!と手放しで唸るような小説ではありませんが、表現手法の観点から2,3書きたいと思います。

ジャックポットはコロナ禍の世界の状況を筒井節でぶった切るエッセイ小説です。
最近の筒井さんらしく、現実と虚構が入り混じった、半シュールレアリスム小説です。思い付きでダジャレを書き連ね、最高のくだらなさは筒井康隆これにありといった感じでした。

舌鋒はやや控えめで、コロナに対するモノの見方は至って普通でした。

僕が注目するのはその表現手法です。半シュールレアリスムとさっき書きましたが、これは僕が名付けました。実は、僕も一年ほど前にこの手法で小説を書いたことがあるのです。
Noteにも書いたことがあります。それを引用します。

『半シュールレアリズム宣言』
物語や題材の核をあらかじめ決めつつも、話の流れや表現を自動記述により、緻密な設計や理性によるブレーキを無視して思いのままにかく手法。簡単に書ける為若い小説家は悪用厳禁。

今回のジャックポットは、まさにこの手法で書かれていると思います。

「ブラームスじゃなかったハイドンじゃなかったモーツアルトじゃなかったあっバッハ会長」なんて一節は、まさにシュールレアリスム的です。思いついても普通書かないようなことを書きます。

僕もこんな感じで書いていました。

「それもアコムじゃ無理だ。アコム、アイフル、プロミス。自身家のプロミスよ。我汝を愛さん。しかし世に最初から果たされぬ約束あること、汝忘れたもうな。余とて例外に非ず。。23のわたくしはテレビに出ているようないい女を抱きたいのです。それもやはり、アコムさんには叶えられない夢幻だ。プロミスさんも約束できない相談だ。アイフルさんほどには、愛がない欲望だ。御三方の力が借りれないなら何を頼れってんだよ。」

ダジャレはどうしても思いついちゃうものなので、半シュールレアリスムで書かれた小説にはダジャレがつきものです。恥ずかしくもありますが、とんでもなく面白いと思うときもあります。それは読むときの体調次第でしょうね。

ジャックポットを読んだとき、やっぱり僕は筒井康隆をパクっているなあと思いました。筒井さんはパクる相手としてあまり良いとは思えません。だって絶対に筒井康隆を水で薄めただけの小説になってしまいますからね。けどパクらずにはいられない。悩ましいところです。

ジャックポットが面白い点はもう一つあります。この小説は前半は実際に起こったパンデミックの状況を描いていますが、後半はSFになっています。しかし、実際に現実で起こった前半の方が、後半の創作よりも、より筒井康隆らしいのです。事実は小説よりも奇なりといいますが、世界そのものが筒井康隆の世界のようになってしまっているのです。
イギリス首相が感染とか、北朝鮮が一人も感染者がいないと胸を張るとか、ブラジルの保健相が感染し、ボルソナロの「人はいつか死ぬ」発言とか。
まさに筒井康隆の小説で起こる出来事が起きてしまっているのです。僕は最近、世界はつまらないものだと落ち込んでいましたが、こんなにも面白い世界に生きられて幸せです。

以上。

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