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在デンマーク15年目に立ちはだかる言語の壁

早いもので今年の夏でデンマークに移住して15年目を迎える。わたしが日本で主人と初めて出逢った時は、「え~っと、デンマークってどこにあったっけ?」っていうほど北欧にもヨーロッパにも全く興味がなかった(今ではヨーロッパはとても魅力的だと感じているが)。

私は山の麓で育ったこともあり、どちらかと言うとオーストラリアとか、アメリカ大陸とかアフリカとか、雄大な大自然と動物、フレンドリーな人種の住む(と信じていた)大きな大陸の国に憧れていた。

特にカナディアン・ロッキーの壮大な山々にはすっかり魅せられて、カナダへは3回旅行をした。そして、4回目は語学留学でウエストバンクーバーのホストファミリーの家に8ヶ月滞在させてもらった。

そこを拠点にシアトルやロサンゼルス、サンディエゴ、さらに南はニューオーリンズ、東はニューヨークまで、様々な旅を楽しんだ若かりし時代もある。

私にとって初めての異文化であった英語に触れたのは、幼稚園の時に園に来てくれていた英語の先生だった。いつも英語の絵本を読み聞かせてくれたあとに、おやつをくれるのが楽しみで、卒園後も1人で電車に乗ってその先生のところに通っていた。

当時セサミストリートやミッキーマウスなどの絵本が大好きで、先生はクリスマスになると、いつも英語の絵本をプレゼントしてくれた。先生のお家には外国のお菓子が沢山あったのも良く覚えている。

そんな経験もあってか、英語は学校でも苦労しなかったし、勉強も楽しかったし、何よりも英語のサウンドが大好きだった。

ところがだ…(前置きが長かったがやっと本題)

ヨーロッパ大陸にちょこっとだけ突き出ているような九州サイズの小さな国、アンデルセン童話の生まれたデンマークに住むことになってしまったのだ。

しかもこの国には自然はたくさんあるものの、え?どこを見渡しても大好きな山が見あたらない!!飛行機で降り立つ度に、パンケーキのように平らな地形を残念に思っていた。

でも、今15年目を迎えるにあたり、この小さな国と出逢えて良かったと心から思えるまでになったのだから、人生とはわからないものである。

しかし問題は、40歳から始めることになった新しい言語の習得だった。デンマーク人は英語も上手に喋れるので、デンマーク語を学ばなくても生活には困らない。

しかしながら、これは私の持論であるが、違う国に住んでその国の言語や文化を学ぼうとしない姿勢は、そこに住む人やその土地に対してのリスペクトが足りないような気がする。なぜなら言語とは、社会の中で唯一の共通の道具であると考えるからだ。

そんな思いもあって、私は、主人と出逢って移住を考え出した頃から、日本にあるデンマーク語教室を探して学び始めたのだった。

デンマーク語には、自分の人生で今まで聞いたこともなかったような喉から聞こえてくるガギグゲゴに代表される濁音がたくさんある。そんな音を喉から出そうとするには、今まで日本語や英語では使ったことのない喉の奥の方にある筋肉(正確には声帯?)を使わなければ音が出ない!

そして、デンマーク語にはアルファベット上の母音が9つもあるのだ(音だけでは40もあると言われている)!

どういうことかというと、日本語には「アイウエオ」の5つの母音しかないと考えるとすれば、9つの母音とは、要するに「アイウエオ」の間に1つづつ違う母音が挟まっている感じである。

アとイの間に、アでもイでもない似てるけど違う音が挟まっていて、イとウの間にはイでもウでもない似てるけど違う音が挟まっていて….(以下同様)。この似ているけど違う音が、私には違いが聞き取れないことが多い厄介な音なのだ。

デンマークに住む外国人は、国の補助で、最初の数年間語学学校に一律で通わしてもらうことが出来る有り難いシステムがある。

でも、語学学校を終了して試験に合格はしたものの、だからといって実際はなかなか生活の中で自由に使えるレベルまでにはならなかった。

私は仕方なく、その後もVoksen Uddannelse Center(大人の教育センター)に通いながら、回りの応援と支えのおかげで、なんとかデンマーク語の高校卒業資格までの勉強を重ねることが出来た。

そして、私の場合は何よりも、自閉症の息子のお陰でデンマーク語が上達したのである(もっとも、息子と私のコミュニケーションは関西弁であるが)。

どういうことかというと、息子が自閉症の診断を受けてからというもの、本当に沢山の本を読んだし、沢山のコミューンからの長い書類にも目を通さなければならなかったし、沢山のミーティングにも参加して意見を述べなければならなかったからだ。

もちろん、このご時世。Google翻訳だの、翻訳アプリだの、いくらでも翻訳機能を使えば不自由はしないかもしれない。また、最初の頃は頭が疲れてくると、途中でお願いをして英語に切り替えてもらったりしたこともあった。

それでも、自分の子どものことだ。相手に一番通じるデンマーク語で、自分の言葉として説明がしたいし、実際に必要な情報はデンマーク語で理解がしたかった。

そんな意地とモチベーションと、元々の語学好きが効を成して、私のデンマーク語は少しずつ上達して行き、今では不自由なくミーティングに参加したり、通訳のお仕事を頂いたり出来るようになった。

ところがここに来て、15年目の大きな言語の壁を感じている。

私に向かって話しかけてくれる1対1のデンマーク人との会話や、話題の決まっているオフィシャルなミーティングなどでは問題はない。もし、聞きなれない単語が出てくれば、それってどういう意味?と聞き返すことも出来る。

問題は、複数のデンマーク人が集まって、ワイワイガヤガヤ話題がポンポン飛び交う雑談や、仕事での老人(特に痴呆老人は投げてくる会話のボールが全く予想できない)とのコミュニケーションなど、想定外の内容や冗談を挟まれたりすると、突然プチンっと音を立てたかのように、頭の中のデンマーク語スイッチがオフになってしまうのだ。

そうなると、言葉は上滑りのただの音楽に変化してしまい(もっとも、デンマーク語の音は私にとってあまり耳障りのいい音ではないので、騒音といった方が適切だ)ひきつった笑顔で時おり頷いてみたり、なんとか会話の予想をたてながらそれっぽい返答をするしかない状態になってしまうのだ。

最近では、そういう誤魔化しの能力ばかりが向上して、もはやこの立ちはだかる壁は、外国人である限りは一生越えられないのではないかとさえ感じることがある。

私はコテコテの関西出身なので、テンポの早い会話やジョーク、話題がコロコロ変わったり、ボケたり突っ込んだり、そんなことには慣れているはずだ。

でも、デンマーク人が数人でお喋りを始めて(彼らは大変お喋り好きな人種だ)、しかもその内容が私にとって興味のない話だったりした時は、デンマーク語がただの騒音に聞こえ出してしまうのだ。

そういう時の私の頭は、完全に勝手に休憩モードに切り替わってしまい、脳内では全く違う映像や考え事が流れて、なんなら相手に失礼ながらも鼻歌まで流れてしまうのだから、どうにもこうにも仕方がないのである。

そして、あと大きな問題は、前述した発音である。

聞き取れない音は正確には言えないものだ!
(だって私には同じ音にしか聞こえないんだもん)。

職場のご老人達や息子や主人から、時々手厳しく発音の間違えを何度も指摘される。自分ではそう言ってるつもりでも、彼らが聴くと、どうやら違う音に聴こえるらしい。相手の耳がおかしいんじゃないかと思うくらい、自分としてはその音を発してるつもりなのに。

特に外国人の発音に慣れていないご老人とのコミュニケーションでは、職場でも最初の頃は良く「デンマーク語喋れる人を呼んできて!」と言われ、「あの、私一応今デンマーク語喋ってるんですけどぉ」と思いながら情けない思いを何度もしたものだ。

最近はそういうことはなくなったものの、伝説の笑い話になるような発音間違えは未だに続いている。

この壁は果たして越えられるのだろうか。

まぁ、そんな深刻にならなくても、コミュニケーションとは気持ちありきさ、と自分に言い聞かせたりもしてみる。

私の言い間違えを笑い話にしてくれるのなら、それもコミュニケーションの1つだし、とか無理やり思ってみたりもする。

間違えを恥ずかしいと思わずネタに出来る自虐好きの関西人で良かったと思う瞬間。

でも、そろそろここらで一度、初心に帰って真剣に発音のトレーニングでもしてみようかなぁなんて思う今日この頃。

もしも、この記事を読んで下さっていて、今デンマーク語を勉強中、もしくはこれから始める方がいらしたら、最初に発音のトレーニングを侮らないことをオススメしたいと思う。

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