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日本人の働き方を辞めたくなる時

 私は縁あって現在デンマークの社会に身を置かせて頂いている。普段の生活では食事以外の面で、自分が日本人であることをさほど意識することはないが、仕事の場に置いて時々「私ってつくづく日本人だよなぁ」と溜め息をつきたくなることがある。

自分が日本人であることを恥じているとかネガティブに感じるとかそういうことではない。ただ、いいとか悪いとかは横に置いておいて、「日本人であること」を否応なく痛感してしまう瞬間というのが、私の場合は仕事中が一番多いような気がする。

自分の中に組み込まれている日本人としてのDNAが一番呼び起こされる場所が(食事を除いて^^;)職場環境であるように私は感じているのだ。

私は現在、介護/看護の現場で働いているので、もしかするともっとアカデミックな現場や精密さを要求される現場ではまた違っているかもしれないが。

それでは、どういう言葉がこの私の言う「私ってやっぱ日本人だよなぁ」を表現できるか考えてみると次の言葉が当てはまる。

「真面目さ」「勤勉さ」「正直さ」「責任感」
え、自分のことほめすぎ?(^^;)(;^^)

私はどちらかというと、大雑把で適当な性格だと自負しているし、家族にも良く「テキトーやなぁ」と突っ込まれるくらいだ。だけど、そんな私でさえも、職場の同僚の「適当さ」や「雑さ」が目についてしまうことが多々ある。

例えば、先日こんなことがあった。

パーキンソンを患っている1人のおばあちゃんが、私の勤務時間が終了する5分前に、共有スペースの食堂で、転倒して頭を強く打ってしまった。

彼女は歩く時に、手足がなかなか思うように前に出せない典型的なパーキンソン患者の動きをするので歩行器を使用しているにも関わらず、今までに何度も転倒をしている。

その日の転倒は結構大きなものだった。椅子から立ち上がった瞬間バランスを崩し、左側へよろよろっと歩いてそのまま「バターン!」と音のするような激しい転倒であった。

同僚のノルウェー人の女の子と私は、少し離れたところにいて、2人とも転倒を目撃していたが、「あーーーーっ!!!」と声を出した時にはおばあちゃんはもう倒れてしまっていて、走りよった時すでに彼女は打った頭を抱えてうめいていた。

頭を強く打っている人はすぐには起こさず様子を観察するのが原則である。そのままのポジションで頭をそーっと触ってみると、ポッコリとゴルフボール大のたんこぶがしっかり出来ていた。

私は同僚にアイスパックで頭を冷やすようにお願いして、急いで血圧計を取りに走った(転倒時の記録に必要)。戻って来て計ろうとすると、プシューっと空気の抜ける音。「嘘でしょ、チューブ穴空いてるやんっ!」

確かもう1台あったはず!

2台目を探して持ってきて計ろうとすると、今度は電池切れのマークが出て測定できない!!「マジか⁉️」。これがもし急変時やったらどうするねん!

「ちょっと借りに行ってくるわ!」と私はバタバタと下の階の部署に借りに行き、3台めでようやく測定することが出来た。

幸いバイタルサインにも意識にも異常がなく、転倒時に出来た後頭部の大きなたんこぶも外傷はないことが確認でき、パニクっていた本人も水を飲み、落ち着きを取り戻したので、今度はリフトを使って彼女を車椅子に戻すことにした。

そこでまた私は、バタバタとトレーニングルームに置いてある転倒時用のリフトを取りに行き、戻ってきておばあちゃんにサイル(本人を運ぶ際にリフトに取り付ける補助シート)を着用して、さぁ持ち上げよう!とリモコンに手をかけたら、なんとこれまた充電切れ…「有り得へん!」心の中で呟いた。

彼女の転倒した場所から一番近いコンセントに繋ごうと試みたが届かない。

万が一骨折している可能性を考えると、無理やり2人で引っ張って起こすのは危険が伴う。私たちは他の部署から助っ人を呼び、3人係りでようやく抱えて起こし、車椅子に乗せることが出来たのだった。

彼女は比較的普通の体格だったからよかったようなものの、もし100キロを越えるような方だったらどうしていただろうかと考えるとゾッとする。

その時点で、私の勤務終了時間はとっくに過ぎていたので、同僚は私に気を使い「時間過ぎてるからあなた帰らなきゃ!」と促してきてくれた。

しかし、転倒を目撃した場合、電子カルテの規定の場所に「転倒記載」をする決まりになっている。

ノルウェー人の彼女は学生アルバイトだったので、電子カルテへのアクセス権を持ち合わせていないし、あいにく助っ人に来てくれていたおばちゃんデンマーク人の同僚も、他の部署が忙しくすぐに戻って行ってしまった。

「え、今ここ放って帰るってことは、私これ見なかったことにするってこと??」

しかも、昼食の後だったので、転倒したおばあちゃんを一部始終見ていた他のおばあちゃん達も、ワイワイガヤガヤかなり動揺していて、わちゃわちゃしている。(めっちゃいっぱい擬声語、擬態語)

「いやぁ、どー考えても、ここ今私帰ったらあかんとこでしょー」

デンマーク人なら勤務時間の終わりは何があってもキッチリ(なんなら5分前に)帰るので ”Desværre har jeg ikke tid, tak for i dag !申し訳ないけど時間だから、今日はありがと~”って感じでさらっと帰って行くと思う。

実際にそんな感じで、やり残した仕事や、次の勤務の人への負担は所々で目につく。

でも、同僚の女の子は2時間後の準夜勤務が来るまで1人なるし、記録もしないわけにはいかないし、私にはそんなふうに割り切って現場を放って帰ることは出来なかった。(その日は祭日だったので職員が少なかった上に私の勤務は早上がりだった)

私は、同僚が他のわちゃわちゃおばあちゃん達をなだめて食事の後片付けをしている間に、転倒したおばあちゃんを部屋に連れ戻してしばらく様子を観察し、リフトを元の位置に戻しに行き次使えるように充電を繋ぎ、借りてきた血圧計をもとの部署に戻しに行き同僚にありがとうと声をかけ、電池切れの血圧計に電池を入れるべく電池を探したが見つからず、翌日の正規職員にメモ書きを残した。

さ、事務所に行きコンピューターを開いて転倒記録も記入しなくては。そこからが、私の場合また時間がかかる…

え~っと、後頭部のたんこぶ(皮下血腫)ってデンマーク語でどう書くんだっけ…。自分の携帯に入っている、デンマーク語医学用語アプリで調べるところから始まる。転倒記録は長ったらしい沢山の質問項目に応えなくてはならず、書き終わってパソコンを閉じた時点で既に1時間超過勤務をしていた。

私は同僚のところに行き挨拶をして仕事を終え、急いで地下の更衣室へ向かった。

ここで少し話しはそれるが、私は更衣室で、自閉症の息子からの数回の電話記録をその時点で初めて目にして、電話をかけなおす。予定の時間に帰って来ない母を待って待って物すご~く怒っているのだ。

もちろん、おばあちゃんがこけて忙しかったことなど説明してはみるが、時間通りに帰ってこなかったことに対して怒っている彼にとってはそんなことはどうでもいい。私はケーキを買って帰る約束でようやく彼の機嫌を直し、車に乗り込んだ。

私は帰りの車の中で今日の出来事を振り返っていた。私がやったことは間違っていないように思うが、なんとなく「やり過ぎた」気分になってしまうのは何故なんだろうか。

私は取り立てて特別な仕事をしたわけでなく(強いて言えば充電切れや電池切れはエクストラな時間をとられたが)、それらはすべて私にとっては当たり前の仕事で、次の勤務の人が困らないように配慮することも、私の中では当たり前のことだった。

デンマークでは超過勤務がないことはとてもいいことだと思うし、自分の時間でキッチリと線を引いて次の人に任せるというのも、あっさりしていてストレスの溜まりにくいとてもいい仕事の仕方だとは思う。

だけど、私の中の日本人DNAは、キッチリ責任を持って仕事をやりとげてから次の人に繋げるものだという考えのもとで動いてしまう。でもそうすると、息子からの不満をかってしまったように、プライベートの生活に多少なりとも影響を及ぼしてしまうこともある。

私は日本で大きな公立病院の、腎臓移植、人工透析を担っている部署で働いていたので、残業や勤務外の緊急呼び出しがある生活を長くしていた。なのでキッチリ時間通りに勤務が終わるなんてことはむしろ滅多になかったのだ。

回りのみんなも、よっぽどでない限りは自分の仕事をやりとげてから帰るのが当たり前だったし、何よりも他人に迷惑をかけることは一番社会人としてイケてないことだという風潮があったように思う。

でも、だからこそ私をはじめ多くのナースは燃え付き症候群に陥ってしまうのかもしれないとも思う。

時間が来たから出来ませんでした、ごめん、帰りまーす、あとはよろしくね~、、、そんなふうに言えるならきっと燃え尽きるまで仕事をしたりはしないだろう。

それでも、やっぱりどこか腑に落ちない。

だからといって仕事を放り出して帰って、患者さんや同僚に迷惑がかかることは、やはりしてはいけないようにも思う。

そんなことを最初から考えないで、「時間が来たから」って帰れるDNAが私も欲しい。きっと彼女達は、仕事を放り出して帰ったからと言って自責の念にかられることもないだろうし、私のように腑に落ちない気持ちになることもないのだろう。

誤解のないように言っておくが、さすがにデンマーク人でも、看護職業務の中でターミナルの患者さんや急変した患者さんの処置の途中で無責任に放り出すことは少ないとは思うし、そういう場面は彼女達にとってもストレスのかかる現場であるとは思う。

そして、さらに付け加えておきたいことは、彼女達はたとえ定時で帰るとしても、やることはやって、ちゃんと現場は回っているし、例えばみんなが3週間の夏休みをとったとしても、それはお互い様で、実際になんとかなっていくのだということ。

ただ、ここで私が書きたかったことは、この、先日起きた1つの事例は、ほんの一握りの出来事で、私がつくづく自分の中に組み込まれている、多くの日本人の持つ「真面目さ」「勤勉さ」「正直さ」「責任感」を痛感した出来事であったということだ。

今書いていて思うのは、私がただどんくさくて真面目すぎただけなのかもしれないし、もう少し手を抜いても良かったのかもしれない。

私の中では、まだまだデンマーク社会で働く上での環境適応が出来上がっていないことも痛感した。

でも、もしかしたら、私がデンマーク人からワークライフバランスの上手な取り方を学んでいるように、彼らが日本人である私の働き方から、少しでも「真面目さ」「勤勉さ」「正直さ」「責任感」を学びとってくれればいいのになぁとも思う。

お互いの働き方文化を知り尊重し合い、そしていい部分を吸収し合える環境になっていけば、どの国でももっと自分らしさを発揮しながら働けるのかもしれない。

家に帰って機嫌のなおった大きな自閉症息子と一緒にイチゴタルトを食べながら、そんなことを考えた1日であった。


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