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株式会社方角の生後1ヶ月を記念して

1ヶ月前の1月4日、株式会社方角という会社を立ち上げた。なぜ1月4日なのかというと、法務省が一番早く開く日がこの日だったから。よく聞かれるが、読み方はそのまま「ほうがく」。方位とか方向とかの方角なのに、なぜか素直に読まれないのが最近の悩みだ。

自分が社長になるなんて1年前の自分は想像もしていなかったなんて言ったら笑われるだろうか。でも設立までの1年は、つむじ風が吹いたように全てが変わっていった1年だった。
2月の終わりに結婚が決まり、今後も同じ人生を歩んでいていいのか急に不安になった。一度もやもやすると行動を起こしたくてたまらなくなってしまう性格なので、3月の初めには勤めていた会社に辞める意向を話していた。まさか2年そこそこで辞めると思っていなかったようで、皆驚いていた。そこから5月末に辞めるまでは、仕事の合間を見つけては転職サイトを眺める生活を送った。

わたしの親も含め親戚は、みなそれぞれが小さい事業を興している商売人だ。子供の社会の中で何か小さな成果を残せば、母に決まって「やっぱり商売人の血が入ってるわね」と囃し立てられた。満更でもない気分ではあったが、同時にほんのりと、いわゆる金儲けに対する嫌悪感の香りを感じていた。

嫌悪感がピークに達したのは大学の頃。美大の建築系の学科に進んだはいいが、「使いやすい空間」を作ることや、木の家が良いとされる学科の雰囲気についていけない自分がいた。皆が建設メーカーや建築事務所に就職した頃、わたしは大学院で、ひたすら己と向き合い作品を作り表現し続ける生活を送った。
一通り大学院で表現をし尽くし、修了後は素直に金が物を言う世界に戻った。自分にしかできない作品を作ることは好きだったが、「商売人の血」が騒ぐのか、求められるがままに仕事をすることが好きということに気づいた。気づいたというか、改めて知ったというか。

世間はコロナの闇がじわじわと覆いかぶさり、転職市場にも暗い影を落とし始め、とうとうこのままではいられない、と思う瞬間が何度もあった。同時に転職サイトを視線で塗りつぶしながら薄々と、もしかしたらここに自分の未来はないのではないかと思っていた。では独立?確かにいつかは独立するだろうとは思っていたものの、そのタイミングが今とは俄かに信じられなかった。しかしまるで何かを変えたくて大学院にとりあえず飛び込んだ時のように、その薄い予感は今回も不思議と当たっていた。
「商売人の血」とやらが血筋なのか、はたまた自分が生まれ持った性質なのかわからないけれど、母のいう通りなのかもしれない。あの嫌悪感の正体は、自分の中の獣の部分が発するきつい臭いだったようだ。

5月末で会社を辞め一文無しになったわたしは、気がつけば悩むことすらしないまま、目を閉じて開けたら半年が過ぎていて、深く息を吸って吐いたら会社を作っていた。まだまだ続きそうなつむじ風に取り込まれながら、これからも血の気の多い道を歩いてゆく予定である。

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