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命の選択 人間の都合?

ちょっと気になる記事を読みました。それは『オーストラリアのニューサウスウェールズ州が、野生の馬をヘリコプターから射殺することを許可した』というものでした。オーストラリアでは、野生馬はブランビーと呼ばれ、有害生物と見なされているそうです。ブランビーの語感からも、”親しさ”というより”粗暴さ”みたいなものを感じます。

ニューサウスウェールズ州政府は、4年間で国立公園内の野生馬およそ1万4000頭を駆除する計画で、空からの駆除を導入しないと目標を達成することができないのだそうです。このニュースのコメント欄には「クジラは保護するのに、馬は殺してもいいの?」という論調のものが多数寄せられていました。

確かに”命の選択”の基準が曖昧です。捕鯨が野蛮かどうかの議論はひとまず横においても、”増え過ぎた必要のない野生馬だから殺してもいい”という考えにはならないと思うのですが・・・。ましてや、ヘリコプターからの大量殺戮なんて・・・。

オーストラリアの詳しい事情は知りませんが、おそらく、そうせざるを得ない理由があるのでしょう。日本では最近、増え過ぎた野生のシカやイノシシを狩って、その肉を食べるジビエが定着しつつあります。欧米の食習慣では馬を食べることは無いようですが、日本では熊本などで”馬刺し”として食べられています。賛否両論あるでしょうが、単に殺してしまうより、食べた方が”無駄死に”にならないような気がします。

こんな時に常に思うのが、人間の身勝手さです。オーストラリアの野生馬は在来種ではなく、別の場所から”人間の都合で”連れて来られた動物です。都合が悪くなったら殺してしまえ、というのは何とも乱暴な考え方です。命の選択の選択権は常に人間が持っています。”人間に都合の良い環境”に対抗するものは排除しても良い、と考えるのは傲慢な考えです。

現在の環境に合わせて人間が適応していく、といった柔軟な発想はないのでしょうか?。

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