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空想考古学・邪馬台国はココだ!#3 総合的に考えると、ココしかありません!

ずいぶんと結論を先延ばしにしてきましたが、今回は結論をズバリ言ってしまいます。私の考える邪馬台国は、奄美大島です。この結論に達した経緯の概要を今回は紹介します。

これ以後に紹介する邪馬台国・奄美大島説は私のオリジナルですが、私以前に奄美大島説を唱えていた人がいます。それは、古代史家の小林惠子やすこさんです。小林さんは著書『古代倭王の正体ー海を越えてきた覇者たちの興亡』(祥伝社)で、自説を展開しています。この中では、当時の東アジア情勢を考慮して、グローバルな視点で邪馬台国を奄美大島に比定していますが、魏志倭人伝との関係は殆ど触れられておらず、私としては消化不良気味な読後感でした。

私がオリジナルの奄美大島説に到達するきっかけとなったのは、邪馬台国・ジャワ島説を唱えた内田吟風さんの2つの総説です。
 1)内田吟風(1975):邪馬臺・耶婆提・Yavadvipa考,鷹陵史学(佛教大学),
  Vol. 1,pp. 3-8.
 2)内田吟風(1976):読魏志倭人伝札記 邪馬臺・耶婆提・Yavadvipa 続考,
  鷹陵史学(佛教大学),Vol. 2, pp. 71-88.

鷹陵史学佛教大学の紀要(大学独自の論説集)であり、少し専門的な話になりますが、これらの論説は(正式な)査読を経ていないので、論文とは言えません。しかし、内田さんの説はトンデモ説ではなく、邪馬台国の場所を特定するうえで、示唆に富む内容になっています。2つの総説は、大いに読む価値があります。私はわざわざ図書館から有料で、2つの総説のコピーを取り寄せました。1)は全体的な概要版ですが、2)はさらに詳しく書かれています。

内田説では、当時の距離の単位である漢魏の里である420mとして計算しているので、邪馬台国は遥か南方のジャワ島になっていますが、考え方はとてもシンプルです。私の場合は、1里の長さを朝鮮半島・対馬間の1000里または対馬・壱岐間の1000里を基準にしているので、1里は約75mくらいになります。

実は75mの百分の一である0.75mは、測量学では重要な基本単位(意味のある数字)になっています。大学で測量学を学んだ時に、歩測といって測量機器が無い時の大雑把な測量方法を学びました。これは、ゆっくり歩くと、2歩で1.5mになるというものです。つまり、1歩は0.75m、100歩は75mで私が考える魏志倭人伝の1里になります。

私は邪馬台国・ジャワ説を深く考えていて、オリジナルの邪馬台国・奄美大島説に辿り着きました。その後、「まさか、奄美大島を考えた人はいないだろう」と検索してみると、既に前述の小林さんがいました。言い訳するみたいですが、私は自説に行きついた後で、小林さんの著書を見つけました。偶然、比定地は同じですが、決してパクリではないのです。それをこれから、示していこうと考えています。それから、さらに調べてみると、奄美大島の南にある徳之島を邪馬台国に比定している説もありました。

今後は、衒学オヤジ版『邪馬台国・奄美大島説』を補強する私なりの解釈を明らかにしていきます。乞うご期待。


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