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運動オンチと”二等のリボン”

 今はあまり使いませんが、美人の例えに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というのがありました。要するに、美人はどんな姿勢でも美人ということです。これをモジった野球オンチの例えに、「打てば三振、守ればエラー、走る姿はカタツムリ」と言うのがありました。流石にカタツムリよりは速く走れましたが、私は走るのが大の苦手でした。

 ですから、私のとっては運動会は年に一回の最悪のイベントでした。私が通ったのは田舎の小学校なので、秋の運動会には特に力を入れていました。リレーは運動会で盛り上がる種目ですが、私の小学校では、ハンデ付きの学年対抗リレー、地域対抗リレー、紅白対抗リレーがありました。さらに、親が参加する親子リレーというのもありました。

 個人戦の徒競走と同じく、リレーでも1等から3等までの着順の人には、赤・緑・黄の小さなリボンがプレゼントされました。運動が得意な足の速い子は、いくつものリボンを自慢げに胸に付けていました。私は個人戦では常にビリビリから二番目だったので色付きリボンをもらったことがありません。もちろん、足が遅いのでリレーの選手に選ばれることもありませんでした。

 こんな運動オンチの私が、たった1回だけリボンをもらったことがありました。それは小二の時でした。自分ではとっくの昔に、自身の足の遅さに気付いていましたが、先生が間違って私を紅白リレーの選手に選んでしまいました。私は、選ばれた嬉しさよりも、自分がチームの足を引っ張ったらどうしようと、不安で頭がいっぱいでした。運動会の前には、何度も本番さながらの練習がありました。本番の”大運動会”の前に、午前の部と午後の部を通常通りに行なう”小運動会”というのが2回もありました。練習の時は、遅い順位でバトンが渡ってきたので、遅い私が走っても順位に変動が無く、何とか誤魔化せました。

 いよいよ本番です。本番では、前の選手たちが頑張って1番でバトンがやってきました。とにかく全力で走ろうと頑張りましたが、一人に抜かれ、また一人に抜かれ、とうとう最下位になりました。何とか次の選手にバトンを渡しましたが、恥ずかしさで顔を揚げることができず、リレーの経過は全く見ていませんでした。しかし、「ワーッ」という歓声でリレーが終わったことを知ると、何と自分のチームは2位になっていました。

 私を除くチームのメンバー全員は、2位のリボンをもらって誇らし気でしたが、私はとても複雑な気分でした。後にも先にも、色付きリボンをもらったのはこれ1回だけでした。今でも運動会シーズンになると思い出す、切ない思い出です。

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