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空想考古学・邪馬台国はココだ!#12 長寿の国・邪馬台国

 魏志倭人伝には、『インドネシア・ジャワ島説』でも書いた”南方”をイメージさせる記述が多く出ています。例えば次の部分です。『倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣』 

 和訳は次のようになります。「倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である」。現在、”標準的な邪馬台国論争”では、邪馬台国の位置は九州または畿内です。しかし、九州がいくら暖かいと言っても、”冬でも裸足”はかなり厳しいと思います。温暖化が叫ばれている昨今でも、冬場の裸足は無理ですから、今よりも寒かったと考えられている邪馬台国の時代は、さらに困難だったろうと想像できます。やはり、南国であるというのは邪馬台国の重要な条件です。

 次は死者の葬儀に関する、少し長い記述です。『其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉  喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 挙家詣水中澡浴 以如練沐』

 和訳は次の通りです。「人が死ぬと、棺に収めるが、”その外側の入れ物である”槨はない。土で封じて盛った墓を作る。始め、死んでから停喪かりもがりする期間は十余日。その当時は肉を食べず、喪主は泣き叫び、他人は歌い踊って酒を飲む。埋葬が終わると一家そろって水の中に入り、洗ったり浴びたりする。中国の練沐のようなものである」。これは少し前まで残っていた、奄美や沖縄でのモガリの風習によく似ています。

 次は邪馬台国論争で必ず無視される場所に関する次の記述です。『計其道里 當在会稽東治之東』。和訳は、「その”邪馬壱国までの道の里程を計算すると、まさに中国の”会稽から東治の東”にあるはずだ」。素直に考えると、この”会稽から東治の東”は、奄美や沖縄辺りになるのですが、”魏志倭人伝の誤り”として勝手に無視されます。

 これが今回の要点になりますが、魏志倭人伝では邪馬台国の人々は「長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる」と書かれています。さすがに邪馬台国当時で百歳というのは考えにくいですが、そこまでなくても長命なのは確かなはずです。この”長命”も奄美地方とイメージが一致します。

 徳之島は、子宝の島とともに長生きする人が多い島でもあります。ここ最近、長寿世界一といわれる徳之島は、温暖な気候や長寿食材といった徳之島特有の秘訣があるのではと、最近注目が集まっています。タイトル画は、身近な食材ばかりで作った徳之島の料理の数々です。これが長寿食かもしれません。タイトル画の皿は全てバナナの葉っぱですが、バナナには抗菌作用もあるとのことです。徳之島は、下の地図からわかるように、奄美大島のお隣の島です。

徳之島と奄美大島の位置関係


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