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【1800字のドラマ】 不条理劇『楽観・中庸・悲観』

 薄暗い舞台の上に、3人の人影がぼんやりと浮かんでいる。左端の一人にスポットライトが当たった。

 俺の名前はラッカンだ。みんな聞いてくれ。世の中には、どうしてこんなにネガティブ思考の奴が多いんだろう。たしかに、バブル経済破綻の後、株価が暴落したり、大手の銀行や証券会社が倒産するなど、お金持ちは大変だったかもしれない。でも、最初から金のない俺には、バブルは無関係だ。

 俺のことを、親戚のラクテンと勘違いする奴がいるが、それは大間違いだ。ラクテンは、自分の境遇を天が与えたものとして受け入れ、物事をクヨクヨ考えない奴だ。ラクテンは、すでに起こったことに対してポジティブに捉えることが出来る奴だが、将来についてはあまり深く考えていない。俺は、物事はうまくいくものと考え、明るい見通しを持ち、気楽に構えることを信条としている。つまり、これから起こる未来の事象に対し、ポジティブに構えるのが俺の信条だ。

 ラッカンはミスをしても反省をしないことがある、と指摘されることがよくある。もちろん、その傾向はあるだろう。しかし、安心してくれ。俺は自分のミスだけではなく、他人のミスにも寛容だ。また、あまり計画をせずに見切り発車で行動をしてしまうと指摘される場合もある。でも、すぐに行動に移す決断力や、 物怖じせずにチャレンジする積極性は必要だよな。時々やっかみ半分で、ラッカンは良くモテると言われることもあるが、社交的で交友関係が広いので勘違いされているだけなんだ。

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 次に、左のライトが消えて、右端の一人にスポットライトが当たった。

 俺の名前はヒカンだ。世間の連中は、どうしてあんなに脳天気でいられるんだろう。俺に言わせれば、ラッカンもラクテンも五十歩百歩だ。バブル経済は歴史的な用語としては知っているが、詳しいことは分からない。生まれたのがバブル崩壊後なので、バブルの恩恵に浴したことは一度も無い。というより、バブルの後遺症で、間接的な被害は色々と被っている。俺自身の能力不足もあるが、バブル後の就職氷河期のため、俺はいまだに非正規社員だ。

 ヒカンはネガティブな言動が多いと指摘されるが、こんな境遇でテンションが高い奴は、危ないクスリをやっている奴に違いない。また、安定志向でチャレンジを嫌がると言われることもあるが、そもそも安定していない状況でチャレンジできる奴がいるのだろうか。こんなことを言うと、きっと過去に人間関係で揉めたなどのトラウマがあったに違いないとか、被害妄想だと言われてしまう。上から目線の勝手な憶測は、勘弁してくれ。

 俺もあと10年早く生まれていれば、就職は売り手市場で楽勝だったし、奇麗なお姉さんたちと毎晩ディスコで楽しめていたのかもしれない。俺が悪いんじゃない、時代が悪いんだ。いや、就職対策に真面目に取り組まなかった政府が悪い。将来には、何も希望が持てない。豊かな老後のためには、年金以外に2000万円もの貯金が必要らしい。でも、そんな余裕はどこにもない。今の俺には、一年一年生きていくのが精いっぱいだ。

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 最後に、右のライトが消えて、真ん中の一人にスポットライトが当たった。

 俺の名前はチュウヨウだ。中堅クラスの大学を卒業して、中堅クラスの企業に勤めている、極めて平均的な人間だ。俺の名前は古風だから、この名前を聞いてすぐにわかる奴はいないかも知れない。後学こうがくのために覚えておいて欲しい。チュウヨウとは、過大にも過少にも両極端に偏ることなく中正で、正しく筋が通り調和がとれていることだ。東洋では、チュウヨウは儒学の中心的な概念として伝統的に尊重されてきたし、西洋でも、チュウヨウはアリストテレスも重要視した倫理学上の徳目の一つだ。どうだ、凄いだろう。

 一般論では、「何事にもチュウヨウが大事だ」と言われるが、議論やディベートになると厄介者扱いだ。対立する二つの意見があった場合、その両意見の真ん中の意見も存在するはずだ。しかしそんな意見を言おうものなら、「どっちつかずな当たり障りのない意見だ」とか「お前はコウモリみたいだな。一体どっちの見方なんだ」と言われてしまう。俺が「両意見それぞれの意見を取り入れた中立的な第三の意見です」と言っても、「優柔不断な奴だ。もっと意見をはっきり言え」と、意味もなく怒られる始末だ。

  中央のスポットライトが消えて暗転した。3人が同時に叫んだ。
「世の中は不条理だ!」

#2000字のドラマ

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