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訃報について思うこと

有名な歌手や俳優が亡くなると、例外なくニュースで報道されます。若い頃は、「へぇ、そういう有名な人がいたんだ」くらいの感覚で、どこか遠くの出来事という印象しかありませんでした。しかし、最近の訃報の場合、私が子供の頃に人気があったり、つい最近までご活躍されていた方々が多く、直接面識はないのに、なぜか心に引っかかります。

時々、田舎の実家に帰りますが、最初に母親と話すのはご近所さんたち”最近の安否情報”です。両親とも高齢ですが健在です。ただし、実家周辺はかなり高齢化していて、実家に帰るたびに「○○さんが亡くなった」とか「△△さんは××で入院中」とか、そういった話を長々と聞かされます。

私が今の実家に引っ越した頃は高度経済成長真っ盛りで、その周辺は(故郷の)新興住宅街だったので、活気にあふれていました。ご近所には子供達も多く、運動会シーズンにはレクレーションとして、その地域住民による”地域の運動会”が開催されるほどでした。いまでは高齢者しかいませんので、ずいぶん前から地域住民の運動会は開催されていません。

”訃報”の画像を探そうと思って検索していたら、文章だけの訃報の画像ばかりが出てきました。そこで、訃報を意味する”obituary”で検索すると、タイトル画のような、にこやかな写真が載ったものが数多く表示されました。どうやらこれは、日本と欧米との文化の違いのようです。欧米では生前の最も良い写真を使った訃報が一般的なようです。また、タイトル画のような訃報が簡単に作れるテンプレートも用意されているようでした。

年齢を重ねるほどに、訃報を身近に感じるようになってきました。仕方ないことですが、こうやって覚悟が出来ていくものなのかもしれません。人生の最後を意識すれば、より良い人生が送れるのかもしれませんが、なかなか思い通りにはいきません。それが人生のようです。お盆の期間なので、こんな記事を書いてみました。


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