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完熟マンゴーと恩送り

いまや宮崎の名産品として全国区になった『完熟マンゴー』。元・宮崎県知事の東国原さんらの宣伝効果もあったと思いますが、美味しいマンゴーを支えているのは農家さんたちの努力です。

今朝見たニュースで、宮崎マンゴーの歴史を知りました。宮崎でのマンゴー栽培は、30年近く前にさかのぼるそうです。1984年当時、JA西都さいとの果樹係長の楯彰一さんが、沖縄での柑橘栽培の視察の時にたまたま出会ったマンゴーに感銘を受け、宮崎に持ち込んだのが始まりだそうです。わずか8戸の農家からスタートしたマンゴー栽培でしたが、最初からすべてが上手くいくはずもなく、失敗も多く、収穫までには苦悩の連続だったそうです。しかし、成功や失敗の情報を共有することで、栽培方法を少しづつ進化させて行きました。

マンゴー栽培のノウハウは、宮崎独自のものではありません。特に初期の頃は、沖縄の今帰仁なきじんの農家が、惜しげもなく栽培方法を教えてくれたそうです。どうしてそんなに親切だったかというと、太平洋戦争中に多くの沖縄の人が宮崎に疎開した際、宮崎の人たちに親切に向かえ入れてもらったそうです。今帰仁の農家さんは、その時の恩を返したいという思いで、無償で栽培技術を教えたそうです。

完熟マンゴーといえば、ハウス内でネットにぶら下がった姿が有名ですが、この栽培法は”ある偶然”から生まれました。栽培当初、マンゴーは完熟すると自然に落果することが知られていませんでした。そのため、実が地面に落ちて商品にならないこともありました。ところが、その落ちた実を食べてみると、どれもハサミで収穫したものよりおいしかったのです。

西都さいとでマンゴー栽培が始まった当初は、梨や桃と同じように、日焼け防止の紙袋をかぶせ、ハサミで切って収穫していました。しかし、この方法だと実の色がよく見えず、熟し具合が分かりづらいのです。そこで考え出されたのが、栗を売る時に使うネットをマンゴーに被せることでした。この方法を採用すると、見事に落果を受け止めました。さらに、ネットは改良され、自然落果を待って収穫する“西都方式”は、宮崎県外にまで広がっていきました。

実はこの完熟マンゴー、まだ一度も食べたことがありません。死ぬまでに一度は口にしたいものです。

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