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空想考古学・邪馬台国はココだ!#10 卑弥呼の正体に迫る (訂正あり)

 久しぶりに邪馬台国やまたいこくの記事を書いてみようと思います。邪馬台国の名前を聞いたことがない人は少ないと思いますが、一応説明しておきます。邪馬台国は、2世紀~3世紀に”日本のどこか”に存在したとされる国の名称です。邪馬台国は女王・卑弥呼ヒミコが治めていた国家連合で、日本のどこかにその都があったことは、”魏志倭人伝”の短い記述から間接的にわかっています。空想考古学では、『邪馬台国・奄美大島説』を採用していますが、あくまでファンタジーな”空想考古学”ですので、お許しください。

 ヒミコ様の名前は有名ですが、意外と卑弥呼の実像はわかっていません。それもそのはず、卑弥呼には1000人もの召使(使用人)がいましたが、直接接触できるのは彼女の弟だけでしたから、卑弥呼の本当の姿を知っている人は極わずかです。魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の情報も、その多くは伝聞情報だと考えられます。卑弥呼は現代風で言うと、国家を治める”偉大な引き籠り”です。

 そんな偉大なヒミコ様ですが、その漢字名には”卑しい”などの漢字が当てられています。これは、当時の倭人から聞いた発音を当時の中国語発音に置き換えたものなので、仕方ありません。ただし、意図的に悪い意味の漢字を充てたのは、中華思想の現れでしょう。今回は、漢字とその発音から、卑弥呼の実像に迫りたいと思います。

 比較的最近知ったのですが、我々が使っている日本語の兄弟言語があることを知りました。それは、半島日本語です。半島日本語(Peninsular Japonic)は、かつて朝鮮半島の中央部と南部で話されていたと考えられている絶滅した日琉語族の一種です。ちなみに、日琉語は日本語と琉球語の共通祖先の言語です。

 ジョン・ホイットマンという言語学者は、日琉語族の話者が紀元前700年~300年頃に朝鮮半島から日本列島に移住し、最終的に列島先住言語に取って代わったと主張していますが、それは”人数で考えると”かなり不自然でしょうとツッコミを入れたくなります。そうではなくて、その当時の列島先住言語がすでに日琉語族で、その言語が朝鮮半島の一部にまで拡散し、その後に南下してきた大陸の部族によって消滅したと考えるのが、妥当ではないでしょうか。

 邪馬台国は朝鮮半島と交流があったので、その時代でも半島日本語は細々ながら生き延びていたと考えられます。そうでなければ、意思疎通は出来ませんし、記録にも残らなかったはずです。アレキサンダー・ボビンという言語学者は、朝鮮半島の三国時代において高句麗から朝鮮語族話者が南下し、百済・新羅・加耶などの国家を設立するまで朝鮮半島南部では日琉語族話者が存在していたと考えています。

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 半島日本語は、当時の日本語に近いと考えられますから、卑弥呼の字を半島日本語から読み解きます。漢字の読みであるヒミコは、現在の呼び方です。当時の読み方なら、漢字の一字ごとの発音は”Pi-Mi-Wo”となります。これを無理やりカタカナにすると、ピミヲとなります。ここからは勝手な想像ですが、Piは朝鮮語のPilと同語源で、”火”を表わします。次のMiである”弥(彌)”は半島日本語では”水”の意味です。最後のWoは、ヲすなわち成人女性を表わすと考えられます。つまり、”ンナ”のヲです。

 無理やりこじつけると、”火(太陽)と水(海)を統べる女王”となります。つまり、卑弥呼は太陽神であると同時に、海神でもあるのです。天(アマ)族であり、海(ウミ)族である邪馬台国の卑弥呼にはピッタリな名前です。この名前からも、奄美アマミ(Ama+Umi=Ama(u)mi)が邪馬台国の本拠地であることが推定できます。

 |天海祐希《アマミゆうき》さんという芸名の、有名な女優さんがいますが、この名前は今回の話にぴったりです。カリスマ性のある女優さんなので、ひょっとすると卑弥呼の生まれ変わりかもしれません。現代風なら、『この時代に転生した卑弥呼』でしょう。もちろん、天海さんご自身は否定されるでしょうが・・・。

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 タイトル画は、安田靫彦ゆきひこさんの描いた卑弥呼像です。私の勝手な思い込みでは、何となく天海祐希さんに似ています。安田画伯がどのようなイメージで、卑弥呼を描いたのかは知りませんが、卑弥呼の衣装の柄が魚のように見えます。偶然ですが、今回の話にぴったりのデザインです。以前の別の記事では、前方後円墳を奄美大島に例えましたが、ひょっとすると魚の形なのかもしれません。

注)私の知識不足で、タイトル画の作者を間違えていました。正しくは安田靫彦画伯でした。


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