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正義は、倫理・合理性・法律・自然法・宗教・公正などに基づく道徳的な正しさに関する概念らしいです。日常的に使われる意味では、道理に適った正しいこと全般を意味します。また、正義の対義語は不義です。不倫のことを昔は、不義密通ふぎみっつうと呼んでいたので、やはり不倫は非道徳的な行いのようです。

正義の実質的な内容を探究する学問分野は正義論と呼ばれます。Wiki先生から教えてもらったのですが、正義にも種類があって、報復的正義、修復的正義、配分的正義、匡正きょうせい的正義などがあるそうです。どれも聞き慣れない言葉ですが、報復的正義というのは「目には目を、歯には歯を」的な同害報復のことを指すようです。また、最後の匡正的正義は、一旦破壊された”あるべき状態”を回復することを意味します。匡正的正義の典型的な例は、損害賠償や不当利得です。

難しいことは置くとして、これらの正義は、自分の身に降りかかった不利益の解消などが基本です。しかし、昨今のネット社会では、自分と関係ない事にも”正義”を振りかざす人たちがいます。いまや誰でも自由に意見を言うことができるし、ネットなどに自分の意見やコメントを”お手軽に”書き込むことができます。また”匿名性”を過信して、”何を書いても大丈夫”といった間違った理解をしている人たちもいます。

最初は他愛もない書き込みだったものが、段々と過激になって行きます。これは、”自分は正しいことをしている”というちょっとした快感が、次第にこれ無しでは生きていけないような究極的な快楽へと変化していくためです。最初にこの快感に目覚めると、脳内には快楽を導くドーパミンという物質が流れます。しかし、ある程度この刺激(快感)に慣れてくると、それ以上の快楽を求めて、さらに過激な書き込みへとつながって行きます。麻薬中毒、ギャンブル中毒、アルコール中毒なども原因は違いますが、脳内メカニズムはほぼ同じです。

こうなってしまうと、もはや”正義中毒”です。その書き込み自体は、正しいのかもしれませんが、その人たちが指摘する正義は、その人たちとは無関係な事柄です。例えば、不倫自体は非道徳的な行いでしょうが、自分の配偶者の不倫問題でなければ、自身には何の関係もありません。芸能人や有名人の不倫は、その当事者にとっては”正義”に関する問題ですが、一般人には全く関係ない事柄です。

問題の背景も知らずに、相手を一方的に非難する感情的な書き込みは、感心しません。一方的な正義を振りかざすのではなく、もっと寛容な態度は持てないものなのでしょうか?。常に誰かが誰かを心理的に攻撃するギスギスした社会には、未来が無いと思うのですが・・・。

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