見出し画像

私、嫌われてます。

対人関係は、学校生活や社会人として働く多くの人にとっての共通課題です。嫌われる/無視されるより、好かれる/関心を持たれる方が良いに決まっています。少し前に『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』という本が流行りました。アルフレッド・アドラーは、トラウマの存在を否定したうえで、”人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである”と断言し、対人関係を改善していくための具体的な方策を提示しています。圧倒的にコミュ力の高い人を除けば、多少なりとも対人関係の悩みは当り前です。

私はみんなと積極的なコミュニケーションをとることが苦手なので、基本的にはボッチ体質です。よく言えば、一匹狼いっぴきおおかみ気質です。私は鈍感なので、その時は”ハブられている”感覚が無かったのですが、今思えば様々なシチュエーションでハブられていました。以下に具体例を紹介します。

高校二年生の修学旅行の前に、自由行動のための班決めが行なわれました。一年生の時はクラスに何人かよく遊んでいた友人がいたのですが、二年生の時にはそのほとんどがクラス替えで、別のクラスになっていました。私のクラスでの班決めは順調に進みましたが、その結果、私一人が残ってしまいました。結局、かなり異例ですが、私は隣のクラスの班に加入することになりました。普通なら、落ち込んだり悲しんだりする状況なのでしょうが、多少の違和感は感じましたが、私は至って平静でした。

積極的に嫌われたと思っていませんでしたが、好かれてもいないようでした。思い出せば、中学校の班決めの時にも、私が所属する班が決まらず、一番人数が少ない班に入れられたことを思い出しました。

社会人になってからも、職場でハブられることがありました。しかし、表立ってハブられることが無かったので、あまり気付きませんでした。薄々ハブられているのは分かっていましたが、ある時にそれがはっきりとわかりました。いつものように仕事を終えて、地下鉄の駅のホームへ向かいました。すると、そのホームには職場の先輩/後輩たちが10名くらい集まっていました。私は努めて明るく、「これから飲み会ですか?」とその集団の一人に聞くと、「うん、まぁ・・・」と曖昧な返事が返ってきました。

「なるほど、これがハブられるということなのか!」と、頭のなかでは冷静に考えていました。私は誘われていないので、その飲み会の目的は知りませんが、何かのイベントの打ち上げのようでした。私はその集団から、離れた場所に移動し、電車に乗りました。

いまでも職場では、”好かれてはいない/嫌われている”ようですが、私をサポートしてくれる少数の後輩がいます。この後輩たちがいなければ、この年までやってこれなかったかもしれません。嫌われるのには、本当に勇気が必要です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?