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自分マガジン 日常のエッセイ編

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日常で起こった様々な出来事をエッセイにしました。あまり役に立ちそうにありませんが、読んでホッコリして頂ければ幸いです。
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#思い出

丼サイズのビッグプリン

私の子供の頃から、粉末で作るハウスのプリンミクスはありましたが、そんなにしょっちゅう食べられるものではありませんでした。さらに、1箱で出来るプリンが4個なので、少し量的に物足りません。そこで、お小遣いを貯めて自分専用のでっかいプリンを作ることを考えました。 でかいプリンは子供のロマンです。昔、アイドルの大場久美子さんが「私のプリンはデカプリン!」といって自分のプリンを自慢する、捉え方によっては少しエロいコマーシャルがありました。今なら、たぶんアウトですね。 デカプリン製作

追憶の彼方 父の日のプレゼント

 父の日は、父に感謝を表す日で、多くの国では6月の第3日曜日になっています。先週の日曜日が”父の日”でしたが、子供達から感謝の言葉もなく、もちろんプレゼントなどありません。自分も実父に何もしていないので、どっちもどっちですけど・・・。  父の日は、アメリカのドッド夫人が母の日にならって、父親に感謝するために白いバラを贈ったのが始まりだそうです。父の日のプレゼントは、子供が大きくなってからは全くもらっていませんが、子供が幼稚園の頃には、幼稚園の行事として”父の日プレゼント”を

5月の運動会

 先週の日曜日、近所の小学校で運動会が行なわれていました。私は田舎の出身なので、運動会は”秋の大運動会”というのが常識でしたが、都市部では中学校の受験なども考慮して、春に行なわれるところも多いようです。私が通っていた小学校は、昔から10月の第一日曜が運動会の日に決まっていました。雨で中止になった記憶がありませんので、私が通った6年間は晴天続きだったことになります。  運動会には良い思い出がありません。生まれつきの運動オンチで、徒競走(ランニング)では、いつもビリか、良くても

『布団が吹っ飛んだ』

 今日のような風の強い日になると思い出すエピソード(実話)があります。それは20年前くらいの話ですが、台風が近づいている時に起きました。記事のタイトルから想像できるように、『布団が吹っ飛んだ』光景を目にしたのです。  『布団が吹っ飛んだ』は説明するまでもなく、”ふとんがふっとんだ”という駄洒落のひとつです。駄洒落を説明することは恥ずかしいですが、寝具である布団と、”吹っ飛ぶ”の連用形である”吹っ飛んだ”をかけています。これは『ラクダは楽だ』『イルカは居るか?』のような典型的

昭和の演芸#2 東京コミックショー

 子供の頃に好きだった次の演芸は、「レッドスネーク、カモン!!」でお馴染みの東京コミックショーです。東京コミックショーと銘打っていますが、出演するのはアラビア風の帽子を被ったお腹の出たオジサン一人です。このオジサンが、笛(リコーダー)をピーヒョロピーヒョロ拭きながら、ヘビ使い(のような)芸を披露します。このオジサンが、ショパン猪狩という芸名だということを、Wikiで初めて知りました。  演目は、3つの壷からカラフルな蛇の縫いぐるみをニョロニョロと登場させる芸”三蛇調教”です

オヤジの読み聞かせ#2 『もこ もこもこ』

 子供がまだ字が読めない時に読み聞かせていた本に、谷川俊太郎さんの『もこ もこもこ』がありました。この本は、海から雲が湧き出る様を”もこ”や”もこもこ”といったオノマトペで表現しています。この絵本は、まだ長い文章が理解できない小さなお子さん向けの本です。  この本を大型書店に買いに行ったときに、店員さんに「”もこもこ”という絵本を探しているのですが・・・」と尋ねると、「”もこもこもこ”ですね」と訂正されてしまいました。確かに”もこ”は三回繰り返されるのですが、本の表紙をよく

私の”秘密基地”遍歴

 秘密基地は男のロマンです。今回は、私の”秘密基地”の歴史をお話します。  最初の秘密基地は、小学5年生の頃でした。私が住んでいた地域には、子供がたくさんいましたが、同学年の子供が近所にいませんでした。学校がある時は、少し離れた同級生の家まで遠征して遊んでいましたが、土日は近所の子供たちと遊んでいました。近所のガキどもの中では私は一番年上だったので、私が”隊長(リーダー)”でした。腕力も人望もありませんでしたが、年長者なのでそれなりに敬意を集めていました。  最初に作った

祝・新成人

 新成人の皆さん、おめでとうございます。今日は成人の日で、祝日です。昔は1月15日が固定された”成人の日”だったのですが、現在は毎年日にちが変わります。この成人式は、元々は元服の風習に由来するもので、冠婚葬祭の冠に当たります。  冠婚葬祭はよく耳にする言葉ですが、意外と正確な意味を知りません。冠婚葬祭とは、人間の一生で重要な4つの儀式「元服・婚礼・葬儀・祖先の祭祀」を総称した言葉です。  元服の儀式では、数え年の12歳から16歳の男子が、大人と同じ髪型を結い、氏神様の前で

私のペット遍歴

 現代では『ペットは家族の一員』と多くの人が思っています。しかし、ペットの遺棄や虐待などがあるのも事実です。今回は、私の残念なペット遍歴を紹介します。  小学生の頃、近所にいた1つ年上の男の子の家に遊びに行きました。その子の家には、水色の羽をした小型のインコが飼われていました。そのインコは喋れませんでしたが、教えれば喋ることもできると、その子に教えてもらいました。家に帰って、インコが飼いたいと両親にお願いしましたが、「どうせ一人では世話ができなくなるから、駄目だ」と強く言わ

路線バスの思い出

 父はバスの運転手でした。その前はタクシーの運転手で、さらに前はトラックの運転手でした。麻雀なら三色揃い踏みです。父は運転手の仕事しか、したことがありません。一貫した運転手人生でした。  今朝、テレビをザッピングしていました。偶然、ローカルな路線バスの番組が放映されていて、昔の記憶が蘇りました。小学1年生の夏休みだったと思います。そのころ母は専業主婦だったので、いつもは家にいるのですが、急な用事で次の日に1日家を空けることになりました。小さな私を一人で留守番させるわけにもい

記憶から消えた『優勝』

 小学3年生の途中から6年生が終わるまで、町の剣道場で剣道を習っていました。珠算や書道など、母親から強制された習い事は結構ありましたが、自分からやりたいと言ったのは、この剣道だけでした。どうして剣道を習いたかったのかは、今になっては思い出せません。  走るのは遅いし、運動は苦手ですしたが、剣道だけは何故か長続きしました。稽古は週二回、警察署の剣道場を使わせてもらい、元教師のお爺ちゃん先生がボランティアで教えてくれました。同級生は何人かいましたが、気付けばみんな辞めて行って、

『宴会』という文化

 コ〇ナの影響もあって、大人数での忘年会や新年会は、今回も自粛ムードのようです。私は大人数の立食パーティーみたいなのは苦手ですが、宴会は割と好きです。パーティーが苦手なのは知らない人が多いためで、知り合いばかりの宴会はそれほど苦手ではありません。宴会が苦手でないもう一つの理由は、「子供の頃から慣れている」せいです。  私が住んでいた田舎では、今のように好きな居酒屋や料理屋が選べるほど、多くの店があるわけではありませんでした。ましてや、まだまだ日本中が貧乏だったので、宴会は(

私の読書遍歴

 今でこそ、本は結構読みますが、かつては本をほとんど読まない読書暗黒時代がありました。今回は私の読書遍歴を話します。  小学生になって字が少しづつ読めるようになりましたが、特に読書には興味はありませんでした。しかし図鑑は好きで、動物図鑑や植物図鑑を眺めては、悦に入っていました。小学2年生のある日の日曜日、通っている小学校に遊びに行った帰り、講堂で何やら楽しそうな催しが開かれているのに気付きました。何やってるんだろうと不思議に思いましたが、外から覗いても何だかさっぱりわかりま

手作りのクリスマス会

 もう半世紀前の大昔の話です。小学4年生の12月、終業式の時にクリスマス会をしようと、学級会で決まりました。その時の担任の先生は、白髪頭のサンタクロースのようなおじいちゃん先生でした。その先生は、生徒たちの発案にニコニコしながら頷いていて、特に反対はされませんでした。その当時のクリスマスは一般的になりつつある年中行事でしたが、今ほど華やかではありませんでした。クリスマスツリーの存在は知っていますが、田舎だったので、家で飾っている家庭はそれほど多くなかったと思います。  学級