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ねぐせ。大好き!6841文字でねぐせ。を論じてみた!


はじめに

夏の全国高校野球選手権大会の関連番組「熱闘甲子園」のテーマソングがねぐせ。の『ずっと好きだから』に決まったことが5月13日、ABCテレビより発表された。
ねぐせ。と言えば、Tik Tokで楽曲が使用されたことをきっかけにバズり、若者を中心として人気を集めているバンドである。代表曲には『ホットな音楽を』『あの娘の胸に飛び込んで!!』などがあり、恋をする若者の共感を呼んでいる。現在(2024/5/23)、Spotifyの月間リスナーは58万人を超えていて、これはウルフルズの月間リスナー60万人に迫る勢いである。

そんなねぐせ。が今炎上している。問題は前述の「熱闘甲子園」のテーマソングである。以下に本曲ティーザー動画に寄せられたコメントを記載する。

まず声質が甲子園にあってなさすぎる、選定した人頭バグってんのか

100周年がこれは草

『こぼれナミダ』おもろすぎる。 こぼれイクラ丼みたいに言うなし

戦争を知らない大人たち感

・あの人の優しさの大好きを一緒にありがとう(意味不明)
・緑(誤字)
・世間の外野なんて聞こえない(文法崩壊&不適切)
・観声(誤字)
・風に載せて(恐らく誤字)
どうしたらこんなことになるんや

ぜひ直接動画を見に行っていただきたいが、一通り見たところ批判する声のほうが多いようだ。一般的にネット上で寄せられるコメントはネガティブなものになる可能性が高いが、それでも少し批判する人が多いということがわかると思う。いったいなぜこれほどねぐせ。は嫌われてしまっているのだろうか。

ねぐせが嫌われる理由

ねぐせが嫌われる理由としてネット上に挙げられていたことは以下の通りだ。
1.りょたち(ボーカル)の女癖の悪さ
2.パクリ疑惑
3.Tik Tokでバズって売れたから
4.メンバー(りょたち)の中性的な顔立ち
5.ファンとの恋愛問題(りょたち)

結論はねぐせ。に対する嫉妬心が嫌われている原因と言うことができる。聴いたことのないバンドがTik Tokの力を借りて、頭の足りていない人をターゲットにした曲をつくり、お金も女も手に入れている。そんな状況に対する嫉妬心がアンチを駆り立てているのだろう。そこはねぐせ。の責任ではないので、アンチは現実と妄想をきちんと切り離すべきである。
現実ベースの批判としてはパクリ疑惑がある。実際筆者はねぐせ。の全曲を聴き、いくつかこれはパクリではないかというものを見つけた。パクリはもちろん悪いことだ。しかしパクリで有名な大塚愛もオレンジレンジも今のねぐせ。ほど批判は受けていないだろう。問題はより深いところにありそうだ。

筆者独自の考えとしては以下の通りだ。

・一発屋的な売れ方をしたバンドで数年経てばいなくなってると予想されるため、今の段階で批判しておけば将来自分が正義になれると予想している
・。が嫌(由来はノリ)
・Z世代から注目を集めると紹介されることがあり、Z世代として括られ好みを判断されることを否定したいが、自分が好きなものを聞かれてもこれと答えられることも自信もないから
・一見して陽キャといった彼らの姿を見て、陰キャ及び根暗な我々は無条件に拒否反応を示すから
・Tik Tokで売れた=脳が足りてない若年層に向けた楽曲を作り、ある意味詐欺的に大金を得ているというイメージを想起させるから

これらはすべてねぐせ。の曲をきちんと聴いたことのない人間による批判である。ねぐせ。ファンの皆さん安心していただきたい。りょたちの作った曲が批判されているわけではなく、その姿勢が「陰キャ」からすると受け入れられないというだけだ。全てに耳を貸す必要はないが、合計10時間以上ねぐせ。の楽曲を聴いた筆者によって本稿が記されているということはご留意いただきたい。

音楽とは

バンドについて論じるのだからそもそも音楽とは何か定義しておく必要がある。
音楽には大きく2種類あると考える。体で聴く音楽と心で聴く音楽だ。前者はより音楽性が求められ、後者はより文学性が求められる。この2つは完全に相反するものではなく共存することも十分にありえる。
役割という側面からも考えることができる。クラブで踊るために作られている音楽はもちろん聴いた人を踊らせることが役割だ。一方ですでに述べた心の音楽は聞いた人に寄り添うことや啓蒙することが役割だろう。「救われる」「共感する」といった言葉はそういった文脈で生まれる。

では、ねぐせ。の音楽はどちらに属するのだろうか。ねぐせ。の音楽がクラブで大音量でかけられて人々を踊らせる。もちろんそういった場面もあるだろう。しかしその踊りは音楽性によるものではないことは想像に難くない。それはただみんなが知ってるということで引き起こされる。その曲調からして体の音楽ではなく心の音楽を体現し、ねぐせ。は音楽を媒介として世界に何かを伝えたいのだろう。その音楽によって何を伝えようとしているのかというのが肝である。文学性を求めて音楽を作っていると仮定すると、その文学性は私からすれば世に出す必要があるのかというほど、分かりきっていることで心は動かない。どこかで聞いたことのあるセリフをどこかで聞いたことのあるような声が歌う。そこにどんな意味があるのか、ぜひ一度ライブに行くような方に話を伺いたい

パクリについて

前述したパクリについて補足しておきたい。
パクりは悪だ。これには議論の余地はない。人のものを勝手に使い、その人の名前を伏せた状態で我がものとして世に発表する。これが批判されるのは当然のことである。
似た言葉としてサンプリングがある。主にヒップホップの業界で使われている言葉で、他の人が作った楽曲の一部をそのままあるいは少し手を加えて自分の楽曲に用いることを指す。自身の楽曲をサンプリングしたときにはセルフサンプリングと呼ばれる。このサンプリングは一見するとパクリのようだが、業界では広く受け入れられていて適切なサンプリングをした際には賞賛を受けることさえある。
パクリとサンプリングの違いは引用符の有無だと私は考える。ヒップホップでは、楽曲の作成者はサンプリングの際にこれが自分のものではないことを示すことができている。誰かの曲だと曲中で語っているわけではないが聴く人が聴けばわかるという構造になっている。これはヒップホップが作り出した構図だ。しかし、Jポップのそれは批判される。なぜだろうか。聴く人に教養がないからというのが1つ。Jポップで「サンプリング」をしたとしても、想定される聴き手は一般大衆で音楽的知識はあまりない。そういった人々に対して「サンプリング」をした曲を作っても、それを受け入れる素養がないためパクリとして批判されてしまうのだ。ねぐせ。の曲にはパクリとして考えられるものがいくつかあると私は感じた。それはサンプリングではない。引用符付きではない。パクったことを隠そうとしていることは、あえて言わせていただくと明らかである。

本稿のルール

ここから全曲レビューをしていくにあたっていくつかルールを定めたい。

  1. 客観性をもつこと
    筆者はもともとねぐせ。を快いとは感じていなかった。そのためバイアスがかかり、批判が中心となるのは避けられない。しかし公共性のあるメディアにおいて客観性を失ってしまうことは避けたい。事実をもとにして意見を述べたいと考えている。

  2. 各曲についてできる限り良い面を記すこと
    これはあくまでもできる限りである。

以上がルール。最後にはねぐせ。を批判したくてたまらない人のために、筆者が厳選した曲をお伝えするのでお楽しみいただきたい。では早速スタート。

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