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好きだと言いたい

好きな物は好きと言いたい。
どうも高校3年生a.k.a.でんごろうです。

世の中には自分よりもスゴい奴がいる。
高校生の自分の身の回りで言うと…
・自分よりも勉強が出来る奴がいる。
・自分よりも面白い奴がいる。
・自分よりも米津玄師が好きな奴がいる。

勉強は元々出来なかったから、別にええねんけど…
自分はずっとおもんなかったから、別にええねんけど…

米津玄師だけは勝ちたかった!

中1の頃、リリースされたばかりの
4thアルバム『BOOTLEG』をTSUTAYAで何となくレンタルをした。
正直『打上花火』しか知らなかった。
家に帰ってアルバムを聴いてみた。震えた。
1曲目の『飛燕』からラストの『灰色と青』まで良かった。良すぎた。最高だった!
衝撃が全身に走った。

その日から僕は変わった。
毎日米津玄師のMVを見漁った。『アイネクライネ』『ゴーゴー幽霊船』『アンビリーバーズ』。毎日衝撃を受けた。何だこの音楽は…最高だった。ハチのボカロ曲も聴いてみた。初めは受け付けなかったが、気づいたらまたリピートして聴いていた。

気が付くと、僕は米津玄師を神として崇拝していた。僕はこれを黒歴史として扱っている。米津玄師の事を『米津様』と崇めていた。未だに引いている。

中2の頃には、米津玄師が好きな友達も出来た。気づいたら、居なくなっていた。
かつては大声で「米津様の『Flamingo』のMV観た!?最高だったよね!特にあの時の米津様が…」とか話し掛けていたじゃないか。
これじゃん… 居なくなった理由。

それに気づいても僕はこのキャラを辞めることが出来なかった。
なぜなら周りにもこのキャラで過ごしていたからだ。
僕が急に米津信者キャラを辞めた途端に
何か知らんけど、陰でバカにされそうで辞めることが出来なかった。
「どうしてだ。俺はただ…好きな物を熱量を持って伝えてただけなのに…」
 ““人は夢中になると周りが見えなくなる””
これを実感した。

カナリヤが消えていく五月の末、高校生になって初めて学校に登校した。
当時は新型コロナウイルスが流行り始めて、うちの高校は休校措置を取ったからだ。

少し脱線するが、僕が今の高校を決めた理由は2つある。
①環境が自分に合っていて良さそうだったから。
②同じ中学から誰も行かなかったから。素晴らしい。誰も俺の黒歴史を知らないのだから。

話を戻して、6月末の音楽の授業の最初に先生が米津玄師の『Lemon』を流した。
すると僕の前の席の男子生徒(以下Aと称す)が騒がしくなった。Aはクラスでも騒がしい属に言う陽キャと呼ばれる種族だ。
僕は嬉しかった。ようやく米津玄師を語り合える仲間を見つけたのだから。
勇気を振り絞って話し掛けてみた。
「米津玄師好きなの?」
彼が振り返ると
「うん。好き。え?お前も?」
すかさず僕は答えた
「うん!この世で1番!」
あの時の自分は輝いていた。
自分を越えるオタクが目の前に居るとは知らずに…

その後「好きな曲なに?」と聞かれて
「俺は、アルバムの曲なんだけど…Undercover」
「『Bremen』の奴だっけ?」と返してくれた
「うん!そう!Aは何が好き?」
「俺は、『YANKEE』のメランコリーキッチン。あ、そうだ、『YANKEE』ってマジ神だよな!?」
「分かるわ!」
盛り上がった。楽しかった。
その後、カップリング曲の話になったが
僕は着いて行けなかった。
僕はアルバムしか借りたことがないのだ…
恐らく、ここまで読んできた貴方には2つの驚きがあるだろう。
①「え?カップリング聴いてなかったの?」
②「え?買ってないの?」
すまない。シングルは『Lemon』『Flamingo/TEENAGE RIOT』『馬と鹿』しか通って来ていないんだ。
あと、買うよりレンタルの方が安いじゃん!

中学時代の俺は… そう…
カップリングを聴かずに3年間やり切った!
裏切った形で何かすみません。

後日、『感電』のMVが公開された。
何回もリピートして見た。
休み明け(MV公開日は金曜23時)、美術の作品製作の間ずっとAと『感電』のMVの話していた。
僕は話したい事を用意して当日に臨んだが
僕は、自分の用意していたポイントをAに全て言われしまった。
僕は頷く事しか出来なかった。
ここら辺からだろうか、米津玄師をあまり聴かなくなった。
今まで自分が最強だと思っていたが、簡単に現実を突き付けられた。
(そら、カップリング知らんかったらそうなるんやけどな)

高3になった現在は、新曲が出る度に現れる輩になったとさ。

好きな物を熱く語れるのは素晴らしい事だと思っている。
あの時、僕には好きな物を熱く語れる資格があったのだろうか?

深夜テンションで書き綴ってみた初めてのnote。

また見てね。

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