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男女の仲って何なの?

どうも。
少女マンガといえば「NANA」系大学生です。

最近、自分の発想が中学2年生レベルであることに気づいた。極端で幼稚な発想だ。厨二病とも言う。

先生「人を殺してはいけません。」

ぼく「何で人を殺してはいけないんですか??別に刑法には人を殺しては「いけない」とは書かれていませんよ??ねぇ??ねえっ!??」




友達「俺、頑張って告白したんだ/// そしたらOK貰ったんだ/// グへへへへ///」

ぼく「え、何で告白なんかすんの??普通に好きなら好きって言えばよくない??何で告白っていう特別な形にしなきゃいけないの??一緒にいたいなら居れば良くない??何で異性だとそんな面倒な過程を経なきゃいけないの??同性と何が違うの??ねぇ??ねぇっ!?」


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みたいな感じだ。



えー。落ち着いて考えてみれば、実に不思議だと思わないだろうか。

「付き合う」という現象だ。

日本での「交際」というのは一般的に、一方の申し入れをもう一方が承諾することで成立する契約のような様相を呈している。
(異性と交際している友達の話を聞いていると、今はそうでも無いのかもしれないが。)

付き合うきっかけは何にせよ、付き合うこと自体は拘束力をもっていない。本人達が勝手に交際関係だと思い込んでいるだけの話である。

「結婚」なら分かる。結婚は法律で定められた契約の一種だ。契約とは、先程も書いたように当事者双方の合意によって成立する。男がプロポーズして、女が承諾する。これで一応の契約は成立している…はずだ。(俺は法学部だが別に民法に詳しいわけでは無い。)そして、後に婚姻届を役所に提出するという公的な手続きを経る。これで制度上の結婚も成立する。

しかし結婚する男女は皆、交際というワンクッションを経る。

交際とは実に興味深い。一般的に同性同士では、どれ程仲良くなっても起こり得ないことだ。しかし相手が異性の場合になると、相手を自分のパートナーとして仮に留めておく「交際」という現象が起こる。就活に例えれば、お互いの存在に内々定を出すようなことだ。磁石のようだとも言える。磁石の同じ極をいくら近づけようとしても、手を離せば一定の距離を保とうとするように磁石は離れてしまう。これが違う極だと、手を放しても磁石はくっついたままでいる。

異性同士では、どこまでも親密になろうとする動きが起こる。互いの行動に制限をかけてもだ。



男女は交際を通して、同性とはまた違った親密な関係を築こうとする。よくよく考えてみれば不思議なことではないだろうか。

また、更に言えば、友達と彼氏・彼女の違いは何なのか

出会ってからすぐ交際が始まることは、まず有り得ないだろう。(出会って3秒で合体みたいなのは映像作品でよくあるが。)大体の人が、交際の前にはいわゆる「友達」という段階を経る。交際が始まったとしても、その相手は友達の延長線でしか無い。

友達と彼氏彼女では何が違うのだろうか。

また、友達だった人が彼氏彼女にグレードアップした時に、その相手をどう捉えるべきなのか。

逆に、彼氏・彼女が出来たら他の異性とはどういう関係で繋がればいいのか。


ここで、ある方にインタビューをしてみた。









(ランチパァッック!!)

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今をときめく大スター。G力さんである。



私) G力さん。本日は、お忙しい中時間を作って頂き誠にありがとうございます。G力さんは以前

ねぇ君はもう友達じゃない♪友達より大事な人♪」と述べていましたが

その「君」という方はG力さんの彼氏となった方という認識で宜しいでしょうか?また、その「君」に該当する方はM澤U作氏で宜しいでしょうか?

その上で、G力さんの「友達」とM澤U作氏との違いはどういったところにあるのか、伺っても宜しいですか?


G力さん)・・・・・(無言)

私)あの…G力さん??

G力さん) スタッ   スタッ        ガチャッ  バタンッ!!  
                                    (扉を強く閉める)



私)(・・・・・)










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私)はっ!もしや…(スマホを開く)










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私)あ…もう別れてたのか…やっちゃった🤪







という事で、G力さんに聞いても答えを得られなかったので、自分で考えてみるしか無さそうだ。





改めて問題を整理すると、友達と彼氏彼女の違いは何なのかである。

別の言い方をすれば、何故人はオンリー1を選ぶのか。ということだ。

そもそもの制度として、日本は一夫一婦制である。なので交際に関しても、普通は異性のパートナーは一人という事になる。結婚でも交際でも、既存のパートナー以外の相手をつくれば浮気や不倫とされ、道徳を外れた行為と見なされる。実際、制度というものを抜きにしても、多くの人は「一人」のパートナーを選ぼうとする。遺伝子にそうするようにプログラムされているかのように。(実際そうなのかもしれない)

何はともあれ、パートナーとなる相手を一人しか選べないとなれば、その1人以外の異性は皆友達や知り合いだということだ。

同性なら、オンリー1を選ぶこと無く、誰とでも好きな時に関われる。なのに異性となれば、特にオンリー1の相手がいる場合、それ以外の異性と深く関わることは道徳を外れた行為になる。オンリー1を選んでしまったがために、他の異性との繋がりが制限される。

落ち着いて考えてみれば、なかなか難しい話だと思わないだろうか。

俺の経験では中学に入ってから、交際(ごっこ)を始める男女が増えた。しかし、交際をしていても他の異性との関わりを絶てるわけでは無い。なんなら、交際している異性よりも話す機会の多い異性だっていることだろう。そもそも中学生なので、結婚など出来ない。それでも、多くの子はオンリー1をつくろうとしていた。

しかし、好きな人を1人に限定しなければならない理由など本来的には無いだろう。好きな人が2人居たら、同時に自分のオンリー2にすることだって出来るし、100人いればオンリー100にだって出来るはずだ(道徳や倫理といったものを無視すれば)。



また、他にも気になっている事がある。

原始的に、男と女という性別は生殖のための役割分担的な区別でしか無いはずだ。なので、男と女がくっつく時があるとするならば、それは子孫を残す時のみであるはずである。(もしかしたら、この命題は間違っているのかもしれない。)

しかし実際には、くっつく目的として子孫を残すことが先にあるカップルは殆どいない。お互いの恋愛感情が先にある。「子どもをつくりたくて」くっつくのでは無く、「好きだから」くっつく。子をつくるのは、好きの後にある。

・「子孫残そ」→「くっつく」  🙅‍♂️

・「好き///」→ 「くっつく」→ 「志尊残そ」 🙆‍♀️

である。 

殆どの生き物は前者であるのに対し、人間に限って後者なのは何故なのか。

また子どもをつくるための行為も、人に関しては一種のコミュニケーションとして行われる。

現代の人に関して言えば、他人が子どもをつくる行為を撮影し、映像作品として仕上げる。そしてそれを観ながら、多くの現代人は子どもをつくる擬似体験を一人でする。子どもをつくる行為そのものが1つの娯楽となる。




やはり落ち着いて考えれば、実に不思議なことだ。

本来最優先であるはずの生殖ではなく、恋愛や性欲といった、個人的な感情が男女をくっつけている。  マジでなぜなのか。



正直、今回の話について自分なりの結論は無い。考えても分からないというのが本音だ。

特に、序盤に書いた「交際」については、本当に不思議だ。

法律や制度の後ろ盾を得た「結婚」とは違い、交際は黙示の合意や暗黙の了解のような不安定な繋がりだ。婚姻関係には、戸籍謄本や婚姻届受理証明書などそれを証明するものが存在する。一方、交際関係を具体的に証明するものは無い。男女間の信頼関係だけで成立している。

また、この目に見えない信頼関係は、両者の異性との交友関係に超えてはならない一線を引く。交際関係にある両者に、ある種の楔を打ちつける。交際によって、両者の行動はある程度制限されるのである。(交際経験の殆ど無い俺が、こんな事を書くのは筋違いだが。)

言い方を変えれば、男女は「交際」によって互いを縛りつけていると言える。よく束縛がどうとか言われているが、付き合う事自体がもはや一種の束縛と言えるのでは無いだろうか。





ここまで、人の関係の在り方、特に男女の関係について、自分でも何が書きたいのかはっきりせず、モヤモヤとしたものを何とか言語化して繋げてきた。

もし何か気づいたことがあれば、その都度追記していくつもりだ。






最後に、交際しているそこの君へ。

君にとってパートナーはどんな存在なのだろうか。

パートナーがいることは、君にとって何の意味があるのだろうか。

君のパートナーと他の異性(過去にパートナーだった異性も)との違いは何なのか。

また、君のパートナーにとって、君自身はどういう存在なのか。






愛とは、もしかしたら、単にエゴとエゴが上手いこと調和しているだけなのかもしれない。

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