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短編小説: 総理はカタカナ語が苦手

〇 登場人物 

  
  蒲郡(がまごおり)周一郎(78) 内閣総理大臣

  石平(いしだいら)亮吉(78)  与党幹事長、蒲郡とは同期

                            ・・・ほか

 【起】

「ですから政府はこういうアジェンダをしっかりブラッシュアップしてディスクロージャーとアカウンタビリティにレスポンシビリティを持ってアグレッシブなマイルストーンを設定して新しいパラダイムにシフトしていくべきと考えますでしょうが、大臣いかがでしょうか?」

「行政改革担当大臣」

「只今ご指摘いただいたディスクロージャーとアカウンタビリティに関してはまさにそこにウェイトを置いてステディーなロジックとフレッシュなメソッドを用いながらコミットしていきたいと考えます」

 国会の予算委員会。

 総理大臣の蒲郡周一郎は議員たちの質問、大臣たちの答弁に時に頷いたり、熟慮しているようなそぶりを見せながら、今日も一人困惑の世界の中にいた。

何言ってんだ、こいつらは……?

分からない。分からないのである。ここで飛び交う言葉の半分以上が……。

いったいいつからだろう? 国会でこんなにカタカナ語が使われるようになったのは……? 去年、蒲郡が総理に就任した当時はまだこんなんじゃなかったはずである。それが確か去年の梅雨時くらいにインターネット上での違法ダウンロードの規制を強化する法案が審議され始めた頃からだったと思う。

アジェンダ、アカウンタビリティ、インセンティブ、サマリー、ファクト、ディスクロージャー、ルーティン、ハイコンテクスト、バッファ、ガバナンス、コンプライアンス、アンビバレント、パラダイム、メソッド、ギミック、レゾンデ―トル……。

議員たちの発言に徐々にカタカナ語が蔓延し始め、いつの間にか毎日国会で議論されている内容がまったく分からない状態になってしまった。

さすがにこれはマズイと思い、毎晩総理公邸に帰ってからこっそり辞書を引いて意味を調べるのだが、いかんせん蒲郡は今年で78歳の高齢だ。記憶力も鈍っている。意味を覚えても次の朝には忘れてしまっているのである。しかし、それでも総理大臣の任務が務まっていることが蒲郡自身も不思議だった。

国会でも、ぶら下がり記者会見でも、ほとんどの質問に対し蒲郡は

「前向きに検討したいと思います」、
「遺憾に思います」、
「しっかり取り組んでいきたいと思います」

という3つのフレーズのローテーションで対処しているのだが、総理に就任してから約一年、それで何とか乗り切ることが出来てしまっているのである。内閣の支持率も一貫して50%台前半と決して高くはないものの安定していた。不思議なものだ……。

「では次に、オープンバケーティング・パッケージ法案について総理にお尋ねします」

突然野党議員から水を向けられ蒲郡はドキッとした。おいおい、勘弁してくれよ、あんま難しいこと聞かないでくれよな。

最近野党の連中がやたら推してくるこのオープンバケーティング・パッケージとかいう法案。予算委員会で議論される内容のほとんどが理解出来ていない蒲郡だったが、このオープンバケーティング・パッケージ法案とかいう法案はその中でも皆目検討もつかない、何度説明されてもまったく意味の分からないしろものだった。

「このオープンバケーティングのコンセプトは世界からリクアイアーされている重要なアイデアだと思いますが総理はどのようにコミットするおつもりでしょう?」野党議員が聞く。

「内閣総理大臣」議長が答弁を促す。

 だから何言ってんだか分かんねーよ……。蒲郡は内心ビクビクしながらも、それを悟られないよう胸を張ってマイクの前に立った。まあこれ言っときゃ大丈夫かな……? 

「えー、前向きに検討したいと思います」

 

【承】

 その夜、蒲郡は与党幹事長の石平亮吉と料亭で会談した。

「いやー、亮さん久しぶりだね、二人っきりで飲むのは」

「ああ、そやなぁ、周さん、総理の仕事も大変やろ」そう言って石平は蒲郡のお猪口に酒を注いでくれた。

初当選同期で下積み時代から同じ釜の飯を食ってきた石平とは互いに「亮さん」、「周さん」と呼び合う仲である。この石平にならなんでも話せる。蒲郡はこの一年間誰にも告白出来なかったことを話して楽になろう、そう考えて今日ここに石平を呼んだのである。

「実はな、亮さん、あんただけに話すが、今審議しているオープンバケーティング・パッケージ法案とかいうやつ、俺なぁ、ここだけの話あれの意味も中身もさっぱり分からねーんだ、亮さん申し訳ねーけど俺にも分かるように教えてくれないか?」

思い切って蒲郡が告白すると、石平はギロッと鋭い目でこちらを睨んだ。

ん? これはもしかしてマズかったかな……? 旧友とはいえ石平は蒲郡の率いる蒲郡派とはライバル関係にある石平派のトップである。相手の弱みにつけ込むのが永田町の常識だ。ちょっと俺の考えが甘かったかもしれない。蒲郡がそう思っていると――

「そうか……」と石平がおもむろに口を開いた。「周さん、実はな……ワシもよう分かってへんのや、ガハハハー」と石平は豪快に笑った。

「え! 亮さんもか!」

「ああ、あんなカタカナだらけの法案、戦中生まれのワシに分かるわけないやろ」

「なんだそうだったのか……」

 カタカナ語に苦しんでいたのは自分だけじゃなかったんだ……。話して良かった。蒲郡は結婚して7年目に初めてずっとカツラをかぶっていたことを妻に告白した時と同じように、背負ってた荷物をやっと降ろせた解放感に包まれた。

「最近の国会は訳分からんカタカナ語ばっかで、ワシなんか答弁の半分は意味分からんよ」そう言って石平は笑った。

「亮さん、同じだよ。俺もほとんど理解出来てない。いつもその場の空気を読んでなんとなく誤魔化してるだけだよ」

「ああ、上等上等、国会なんかプロレスごっこみたいなもんやさかい、中身なんてないんやから」そう言って石平は残っていた酒をぐっと飲み干した。

「でも亮さん、あのオープンバケーティング・パッケージ法案とかいうやつ、野党の奴らが随分こだわってるがどうしたもんかね?」

「まあ、野党の奴らがアレを通さにゃ予算案にも徹底抗戦するっちゅーとるからなぁ、まあ、ええんやないか? 譲ってやっても」

「そうかそうか、亮さんもそう思うか、いやー、俺もそうしようかと思ってたんだが、なんせ中身が全然分からないもんだから、もしおかしな法案だったら後で問題になるんじゃないかと心配だったんだよ」

「ああ、大丈夫大丈夫、法律の細かいとこは頭のいい官僚の奴らに任せときゃ上手いことやってくれるやろ」

「そうだな、亮さんがそう言ってくれて安心したよ」そう言って蒲郡もぐっと酒を飲み干した。亮さんの笑顔に久しぶりに酒が美味く感じられた。

 

【転】

 翌日の朝刊各紙の一面には「オープンバケーティング・パッケージ法案成立へ」の見出しが並び、衆議院、参議院の両院でオープンバケーティング・パッケージ法案は賛成多数で可決された。

その夜――

A国の陸軍、海軍が東京港に上陸しオープンバケーティング・パッケージ法案の中に含まれる「バケーティング・ナショナル・ソウベリンライツ法」に基づき国会議事堂の明け渡しを求めた。そう言われても何が何だか分からない国会の職員と警備員たちは「どうぞ、お入りください」とA国陸軍長官、海軍長官らを国会議事堂に迎え入れた。

続いて総理官邸をA国大使が訪れ、同じように「バケーティング・ナショナル・ソウベリンライツ法」に基づく官邸の速やかな明け渡しを求めると、蒲郡をはじめとする総理官邸のスタッフたちも訳の分からないまま「バケーティング……オウ、イエス」と愛想笑いを浮かべながらA国の用意した車に乗り込み、A国がお台場に用意した拘置所、通称「お台場プリズン」に収容された。

 そしてこの1時間後A国大統領の記者会見が開かれ、正式に日本がA国の占領下に置かれたことが発表された。

【結】

日本の占領に成功したA国の大統領は記者会見の後、このプランを発案した秘書官を執務室に呼んだ。

「あの国を亡ぼすのに核兵器は入らない、君の言った通りだな、いやー素晴らしい」

「ありがとうございます」

「一発の銃弾も使わず、こんなに簡単に国を占領出来るなんて世界史上初めての快挙じゃないのか」

「あの国の恥の文化は随分おかしなものですから……、そこを利用しただけです」

「見事だ。まるでゲームだな」

「ええ、ゲームです、ここでやるね」

 秘書官はにやっと笑って頭を指した。

                       《完》

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