おにぎり田田開業のはなし③

つづきです。


卒論間近の春にインド洋沖の実習航海から帰国し、専攻科という航海士の資格取得ができる科に進学予定だったのですが、インド洋へむかうフィリピン沖のバシー海峡(黒潮と親潮がぶつかり合い三角波が起つことで有名な難所)で船酔いでボロボロになりました。   30人の実習生の内 船酔いしなかったのは、三人だけ😭 ずっとベッドに横になっていればなんとか耐えれるのですが、、、     実習生😅どんなに荒れていても 実習があります & 船酔いしない三人のためだけの食事の配膳当番も回ってきます 😢⤵️⤵️ 

決心? しました❗

専攻科いくのやめて 就職しようと。

当然ながら、4月の就職には全く間に合わず  父親のコネ😅で東急百貨店に6月の中途入社として採用されました。            百貨店で接客と食品の知識つけて、3年後 飲食店はじめよう🎵って考えていました。

真面目に一生懸命働きました❗            たくさん飲みました❗

3年後  以前バイトしていた二子玉川のパブのオーナーから、二子玉川は再開発がありこれからすごい街になる!           だから店舗展開したいから一緒にやろうと  言われ、調度3年目だったこともあり上司に辞意を告げました。

はじめの一年間は、あまり面白くなかった仕事が このころには、充実し楽しくてしょうがない❗っていう状態になっていました。

そして直属の上司→その上の上司→食料品部の部長 と慰留され、、         7年目まで頑張ろうと 翻りました😅     そのあとは、より一層仕事に邁進😉         

そして結局7年も過ぎ、30歳になる直前   横浜みなとみらいの新店舗の開業準備室に異動になりました😃               バブルもはじけ、百貨店が新店舗を出す  こと自体がほとんどないような時期でしたから、本当に嬉しく百貨店サラリーマンとしては、最高😃⤴️⤴️の仕事をさせてもらいました❗

1100坪の食品floorを 上司とひとつ上の先輩と私で作り上げる❗充実した仕事でした☺️  準備を経て、お店がオープン。         その後、担当マネージャーとして新店舗に残りました。         

新店舗には社食がありましたが、冷凍食品をチンして出すような マズーい食堂でした。 また、自身が担当するfloorの売上貢献にもなるので、基本昼食は各店舗のお弁当を日替りで購入して食べていました。

ある時、                      floorの一番端から 今日は何を食べよう?  とお店を眺め考えました、

寿司 天ぷら 豚カツ タイ料理 イタリアン等々、たくさんの店舗があり       色々なメニューがあるのですが、

何を食べてよいか?                何食べたい?

食べたいものがありません😭            呆然とするなか、

あ ❗

おにぎり 食べたい❗

その当時、おにぎり🍙を販売していたお店が 売上不振で退店していました。      なので おにぎり🍙を販売しているお店はありませんでした。

そのとき 気づきました😁

和洋中 各国の選りすぐりのメニューの中、

おにぎり🍙の 存在価値✨

すぐに、都内中心におにぎり屋さんを探し  リサーチをはじめました。

そして 運命❓❓の 出会いが❗



つづきはまたのちほど。

感謝感謝


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