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住宅とは設計者のモノなのか

住宅設計っていうのは結構面白くて、高度なパズルをしている気持ちになる。高さを変えると、他に干渉をするし、開口を大きく取りたいけど、寒くなったり、弱くなったり。高い断熱性能を持つ窓とか欲しくなるけど、それをするとコストが上がる。

これらのうまいと落とし所を探るのが建築を生業にする人の仕事であるのは間違いないんだけど、これはかなり作り手の遊びだなと思うところがある。

遊びは人生を豊かにするのだよ

まず言いたいのは、私は遊びはこの世においてとても重要だと思っているので、遊びそれ自体が悪いわけではないということ。むしろとても良い。

遊びの延長に面白さ、豊かさというのは生まれるのであって、それら多くの人の試行錯誤があるから、様々なものが生まれてきたわけ。

ただ家作りは住み手のモノであるというのは紛れもない事実で、もしそこを本当に追求したいなら、全てを自動化してAIが最適解を提供したものにした方が良いのではないか、と。

家づくりは神聖なモノ?

で、こういうことを言うと、住み手のキモチに寄り添えうためには、、、とか、家づくりの技術が衰退して、、、とか、言い始める人がいるのはわかるし、大変理解できるんだけど、じゃぁ現在手作りの家づくりでどれだけ良いモノがあるかっていうと疑問が残る。

いわゆる有名建築家が作った建物見ても、住み手の要望半分、作り手のやりたいこと半分ぐらいなものなのであれば、それは最早作ることを目的にした、趣味の産物なのではと思わなくもない。

理想的な家づくり

繰り返すけど、それが悪いわけではないけど、少なくともそういう一面があると理解していることは重要なのではと思った次第。

理想的には機械が動線的にも、健康的にも非の打ち所がないシステムとしての建築を作って、そこにどんな新しいことが出来るかっていうのは考えていくのがいいと思うんだけど、いかがなもんか。

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