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SNSを心の健康管理につかってみようという話

これは日々使っているSNSを使うことで、ある程度心のバランスがとれるのではないか?というはなし。

わたしは毎日のようにTwitter(X)にログインし、毎日どうでもいい取るに足らない情報を流し込まれるがまま、無分別大量摂取し、少しの文(頭の中にあるゴミ)を書き連ねている。

Twitter(X)は〈テキストメイン〉のSNSだ。頭の中でこねこねした思考を短い文章としてタイムラインに吐きだす。これって、どうやったって思考が内向きにならざるを得ないのではないか?とわたしは思った。自分の脳内で考えていることに焦点を当て、ときにそれを言語にして整理し、ときにこねこねと加工し、ときに深めたりして外部に嘔吐する過程であるのだから。

対して、〈イメージメイン〉のSNSというのがある。Instagramなんかがその代表だろう。Instagramをやっていると文章を書くこともあるのだけれど、まず画像ありきで、その補足説明として文章を書くことがほとんどである。つまり、文章はおまけに過ぎない。画像なしでは話が始まらないSNSがInstagramである。

画像なしでは話が始まらないということは、Instagramにアップロードするための写真なり(動画なり)を撮りに行く動機が生じる。ここで生活に外向きのベクトルが加わることになる。川沿いや森の中を歩いてみたり、少し遠出して綺麗な景色を見に行ったり、いつもより少し贅沢して美味しい食べ物を食べに行ったり、自然物や花鳥風月、その他外界の事物へと意識が向くことになる。

この自然物や花鳥風月、その他外界の事物への関心のベクトルというのが、テキスト情報に溺れる(わたしのような)人々にとっては不足しがちな栄養を補う良い機会になるのだ。人間なにごともバランスである。

一方、Twitter(X)に書くことが何もない、という人は生活の中で今より思考を内向きにして自分の頭を使って何かを考えるということで外向性と内向性のバランスを取る必要が出てくるだろうし、Instagramにアップロードする写真がカメラロールに1枚もない、という人は今より思考を外に向けていく必要があるだろう。

これは、SNSを生活の健康度のバロメーターとして使うこともできるという可能性を示す。Twitter(X)に何も書くことがない人は外向性に偏り過ぎだし、Instagramにアップロードする写真が1枚もない人は内向性に偏り過ぎというように。

自分の生活スタイルがどちらかに偏っていると気づくことができれば、生活をより望ましい方向に矯正できる。概して、精神的に健康を保っている人というのは内向き思考と外向き思考のバランスが取れている人だ。そのときそのときで自分に足りない成分を補充していけばよい。SNSで心のバランスを取る。少なくとも自分がどの方向に偏っているのかに気づく契機を与えてくれる。最近のわたしは、SNSを精神の健康管理アプリみたいなモノとして使っている。

了.

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