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【祭りを考える】 祭りのはじまり

祭りは何のために行うのか?とくに、日本の祭りは命がけのものや奇祭の類も多いので、人並み以上によく祭を見ている私ですらも、「???」となってしまうこともあります。しかし、祭りの原点は何かと言われれば、それは間違いなく、古事記・日本書紀に描かれている天照大神の岩戸隠れによって起きた災いを払うために、神々が岩戸の前で行った大騒ぎこそが祭りの原点です。日本書紀が日本の歴史の正史であるなら、まさに日本における第一回目の祭りは、これだということになります。
天照大神は太陽神です。太陽が大きく関わる天候は、農作物、樹木の果実の豊凶に直結する、言い換えれば、命に直結する存在です。その天照大神が、大地の神である須佐之男の怒りに、恐れ慄き岩戸に隠れてしまったことから、地上界は闇に覆われ、数多の災厄が巻き起こり大混乱に陥りました。
この大混乱を収束させるには天照大神を復活させるしかないと神々は話し合い、天照大神が隠れてしまった岩戸の前で大宴会を行って、そのにぎやかで楽しい雰囲気に天照大神の心をほどいて外に出てもらおうと企てて、首尾よく天照大神は復活し、地上界に光が戻るというのが岩戸隠れの神話です。
そして、これこそが祭りの原点。つまり、祭りとは自然を司る神様の前で楽しく風流演舞に興じることで神様をもてなし、人間が抗えない事象をうまくいくように願うものということになります。だから、祭りは元より楽しいものなのです。

2018年の西日本豪雨の木曽川。古代人は自然の荒ぶる姿に神を見たのだと思います


とはいえ、楽しいだけでは、日本全国津々浦々どこも同じだったと思います。我が国の祭りは非常に多様性に富んでいて、世界で見ても稀な文化です。では、なぜこのように多様性に富んだ文化として現代まで受け継がれてきたのかを考えると、3つの要因があったと思います。それは日本が世界の地の果ての国だったこと、そして険しい山々や入り組んだ入り江や島々を持つとても複雑な地形だったこと、そして、天災が多い国だったということです。

幾重にも重なる山と谷が多様性あふれる祭り文化を育んだと思います


世界の中心に日本があったら、おそらく侵略の繰り返しで日本という国は何度もひっくり返って一つの文化が脈々と進化し続けることは絶対なかったといえます。そして複雑な地形が人々の交流を阻み、山を隔て、谷を隔てた村々で祭礼文化が独自に発展したこと、さらに人智の及ばぬ災害に神の存在を身近に感じる環境であったということ、この3つが世界に類を見ないような祭り文化を発展させたのだと思います。

祭りについて考える、不定期ですが次回もお楽しみに。

ここに書いてあることは、あくまで私の「祭り観」です。私が祭りを見るとき、こういう考えをベースにして祭りを見ているのだとご理解ください。

タイトル画:天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌画、明治20年 1887年)



現在、制作中の愛知の祭り写真集は2023年5月の出版を予定しています。そして10月下旬から、この写真集を全小中学校に寄付するクラウドファンディングを企画しております。こちらのFBページで進捗を随時発信します。

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