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書棚に本を詰めるズボラー

ブックシェルフと称してはいるものの、実態はカラーボックスである書棚を買いました。二棹。カラーボックスの単位もタンスと同じで棹で良いんだろうか? という疑問はさておき、我が家には書棚というものがなく、いや、正確にはひとつあるのだけれども、一部屋の奥に配置されてその前には本を詰め込んだ段ボール箱がどどんと積んでありほとんど用をはたしていないのです。そんなわけで、買った本はひたすら床に平積みにされて俗に言う〈地層〉を作っています。奇岩の風景を作っています。ときどき身体をぶつけて雪崩れたりもします。
根っからのズボラーである私がそのような状態がストレスに感じるわけでもないのですが、長い間に綿埃が本と本の間に溜まって気管支の弱い私がそれを吸い込んでしまったら喘息のように咳が止まらなくなってしまい、冗談でなく生死の境を彷徨いかねない、仕方がない、少しは収納しようかと前述のようにカラーボックスをふたつ買いました。ふたつで約6000円でした。

とりあえずひとつだけ組み立てましょう。
組み立て時間は長くて30分と見込んでいましたが、1時間かかりました。天板と間の板の区別せずに適当にねじ止めした結果、やり直ししたためです。組み立て説明書を読まずに適当に板をはめ込んでネジを回した私が悪いのです。それだけでもうすっかり嫌になってしまって、残りのひとつは気が向いたときに後日組み立てることとして、文庫本を手当たり次第詰め込んでいきます。

それほど大きなボックスではありません。カタログスペックでは文庫本で120冊が詰めるようですが、実際にはひとつの棚に(40冊+上の隙間に10冊)×4段=200冊は入りそうです。おそらく大部分を占める文庫本と新書を収納するだけでも結構整理がつきそう。文庫本200冊なんてあっという間で積まれずに残った本の山を見て呆然としました。文庫はまだまだあるし、新書は手付かずの状態なのです。加えていわゆる単行本もあリます。

呆然としたのはそれだけが理由ではありません。
手当たり次第とは言っても読んだ本か積読本なのか見ながら詰めていったわけですが、読んだかどうかわからない、買った覚えのない本も出てきます。おそらく書店に入って購買意欲が昂進したものの、買いたい本がなくて適当に手にしたものだと思われます。
例えば、佐野洋子のエッセイ『役に立たない日々』とか宮沢章夫のエッセイ『考えない人』であるとか。存在すら覚えていない本を本棚に詰め込む意味があるのだろうかと思っちゃうのです。できれば見なかったことにしたい。中には限りなく読み返すことがなく読んだ記憶を残したくない本もあります。やはりそんな本も書棚に収納する価値があるのだろうかと。
だんだんムカついてきました。本に対してでも本棚に対してでもなく、自分自身に対して。収納する価値がなくてもとりあえず収納しなければならない状況に対して。そんな本は目のつきにくい最下段に入れちゃおう。

ここで私はこれまで本棚を買わず整理しなかった本当の理由に思い当たりました。

本棚に本を収納するということは常に背表紙を見ることになり本の存在価値を意識することになりますが、床から天井に向けて本を積み上げていくとあまり価値を意識することがなくなるわけです。自分にとって価値のある本/ない本の区別なく積まれているわけですから。おそらく私は積読があるという現実、無価値の本を居住スペースを割いてまで持っている不愉快な現実から目を背けたかった。だから本棚を買うことを躊躇していたのではないか。これぞズボラーの本懐です。

一方で本棚を買ったことで不要な本は「処分しよう」と思えたのは良きことでした。
しかし「処分しよう」と思ったズボラーが実際に〈処分〉を実行するかどうかは別問題なのですがね。

さてあとひとつある本棚をいつ組み立てようか。

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