見出し画像

(021) 鈍器本には食傷気味です

元祖鈍器本は何なのか正確には知らないが、私の意識に上がったのは京極夏彦じゃないかと思う。読んだことないけど、30年くらい前か、インパクトはデカかった。
当時 “鈍器本“ と言ったかどうかは定かではない。

ここ数年の鈍器本ブームはおそらく2020年の読書猿『独学大全』からだと思う。
コロナでの巣ごもり→勉強ブーム(?)とリスキリング、
リスキリングはちょっと後か。そんな感じで『独学大全』が流行り、以降、“大全“ を謳った分厚くて頭の悪そうな本が出た。ビジネス書・教養書界隈だけではなく、小説も長大で分厚い本が次々と出版されているような気がする。気のせいかもしれないが。

私も『独学大全』を通して読んだ。今もちょくちょく自分の下がりがちのモチベーションを得るために拾い読みをしている。電子書籍ではあるけれども。

そして、鈍器本という言葉に欲情もした。
それを読んだ、持っているということに価値を置いていたが、あまりにも “どんきぼん“ があちらこちらから聞こえてくるにつれて、鈍器本とは “映え“ なのだなという認識を持つに至った。今私自身は “鈍器本“ という言葉をできるだけ使わないようにしている。

つまり最近あまりにも読み応えのありすぎる本が出過ぎて喧伝している感じがして、若干辟易としているのだ。

もっと軽くサクッと娯楽的に読みたいのよ~

という最近の己の欲求を考えた時に、巷の鈍器本ブームファスト教養は実はセットなんじゃないかと思えるようになってきた。しかしそれは別に記事を書こうと思うがいつになるかわからない。


0120-1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?