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ネットリテラシー治安がスラム。美しい国ニッポン!?

最近よく見る…というか見たくなくても目に入る某飲食チェーンでのイタズラ動画について。

その昔バカッターなる言葉が流行った時から数年経った今でも相変わらず非常識な人間がいるものだとガッカリします。

果たしてそれは本人の問題なのか、教育の問題なのか、どうすればそのようなことをする人間がいなくなるのか。それはわかりませんが、一つの原因としてSNSにおいての承認欲求のためであることは事実だと私は考えます。

動画に撮るという行為そのものがそれを表しています。動画にとってないところでイタズラをする人間こそいるはずですが、わざわざ証拠になるリスクを超えてでも投稿してしまうその神経。私には理解できません。

必ず炎上するでしょうし、それは破滅を意味する…と考えるのが当たり前のように思いますが、その破滅を見た人間ってどのくらいいるでしょうか?

ニュースでは○億の損害賠償だとか報道されますが、実際その判決結果や破滅の行方を知っている人間は少ないはずです。

一般的には「え?なんで?」というくらい軽い刑で終わるかもしれません。

こういう地獄が待っているという現実を知っているのと知らないのとではまた事件の発生件数にも差が出るのかもしれませんが、それはさておきます。

私がどうしても理解できない現実は、

そのイタズラ動画を拡散したりいいねしたりする人間の神経です。正義感なのか、ただ周りに知って欲しいからなのか。理由は色々ですがただただ理解ができません。

イタズラ動画のせいでイメージが悪化し、株価が暴落、数百億の損害が出たのは、犯人だけの原因ではなく拡散した人間一人ひとりのせいでもあると思うのは勘違いでしょうか?

知らぬが仏で済ませられることではないですが、起こった事実として、もし悪戯がその場で店員に見つかってすぐ警察に引き渡されたのであればここまで多くの人が知ることもなかったでしょう。株価の暴落なども起こり得なかったはずです。

SNSに投稿したことが全ての引き金であり、それを拡散してしまう人も必ずいるという現実がそうさせたと感じます。

その拡散こそが暴落を招いたと感じています。もちろん犯人が100悪いですが。

安易な拡散が横行して、リツイートやいいねをした人間をも訴えるという事案もある中で、よく何も考えずに拡散できるものだなと…全ての拡散した人間をネットリテラシー的に非常識な人間であると私は感じます。


飛躍した話になりますが、法律ギリギリセーフの段階でできる節税を「考え方を変えれば脱税になる!」と投稿した人がいたとして、それが拡散されて法整備をしなければと国が動き、合法が違法になるなんてこともないとは言えません。そうなったら拡散した人が自分の首をしめることにもつながります。

今回のイタズラとは全く違う事案ですし比較すら違うとは思いますが、拡散やいいねをするという一部の人にとっては当たり前に行なっている作業が思わぬ規模で話題に上がるということ、一度話題に上がってしまったことは取り返しがつかないということを今一度理解した上で言いたいことは

全く知らない第三者の情報など拡散する価値はないということ。この感覚が正常になれば、もしかしたら拡散希望のいたずらっ子もつまらねーからやめよって思うかもしれませんし。

話題になったりする振れ幅が大きければ大きいほど人は喜んじゃうんです。本来悪いことをして恥ずかしいと思う気持ちを持ってない人が多くなっているという現実は社会のせいでもあります。

悪いことをしたら親父から殴られるみたいなこともDVとして認知されつつありますし。

法治国家なので法は破るべきではありませんが、何が正しくて何が悪いのかは個々で判断すべき時代になっている中、今は無茶苦茶怒られたりはしないけど司法により冷静に人生を破滅させられるような世の中であると感じます。

当事者ではないから関係ないと思う前に自分も何かに加担していないかを考えてみるべきかとは思います。

第三者のことは拡散する価値もないと言いましたが、政治家はじめ公人は別です。赤の他人ですが、我々からお金をむしり取っている人たちです。その発言の一つ一つを監視し、失言などは絶対に忘れないようにしたいもの。

例えばこのニュース

同性婚について差別的な発言をした秘書官。

差別的なことを思っていると捉えられたとしたら撤回する

と言ったそう。

事実としてこの人が、同性婚について気持ちが悪いと思っていることがわかればそれ以上でもそれ以下でもなくないでしょうか。

嫌ならこんな人を側近にしている政治家や団体に投票しなければいいだけの話。なんだったらここまで素直に言ってくれて助かりましたよ。個人的には。

そこで撤回するというのが潔くなさすぎ。気持ち悪いと思っているならそれで良くないですか?そういう人なんですから。多様性だからといって彼を肯定したくはないですが、現実としてそういう人間がいるというだけの話。

しかし、そういう人の不適切な発言や言動は必ず誰かを傷つけているものです。

誰かが傷つくかもしれないということを考えもせず、問題になったから謝ればいいというのは…人として信用ができないという事実。

こんな大人が多すぎる社会でまともな人間が育つとお思いなのだろうか。

政党の政策なども気に留めるべきですが、最後の最後は人間性なのだと私は感じます。

ちゃんと国のことを考えて民意に寄り添えるなら何党が政権を握っても構いませんが今は生活を苦しめられているので反対する他ないということです。

話が飛躍しましたが、まともな人間が上にいればまともな国民も育つのではなかろうかと考えてみた昼下がりでした。

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