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音楽で繋がれる世界を🎶〜骨折から3ヶ月経って〜

早いものでもう4月。1月初めに右手首を骨折してからちょうど3か月が過ぎた。
転んで骨折するということは、運が悪かったという程度の話かもしれない。でも、私にとっては人生についてもう一度考え直すぐらいの大きな意味のあるできごとだった。

左手にハンデを負ってから、ずっと心の中で温めてきたことがある。どうやったらそれを実現させることができるのか皆目見当がつかず、何もできずにいた。しかし、右手まで骨折したことで、私には私にしかできない役目があるのではないかと思うようになった。

音楽を愛し、楽器演奏を生きがいとする者にとって身体的なことが原因で音楽を表現できなくなる。これがどれほど辛いことか…。頭の中では音楽が鳴り響いているのに、それを表す手段を全く奪われてしまう。もしくは、望む音を表現できなくなってしまう。楽器によっては幼いころから毎日毎日の練習で積み上げてきた自分にとっての財産、上手下手は関係なく、すでに自分の一部になっているものを失うのはどれほど苦しいことか、身をもって経験した。

私は特に才能に恵まれていたわけでもなく、ただの趣味でピアノを弾く音楽好きにすぎないけれど、それでも音楽を奏でることでどれだけ大きなものを得ていたか。私にはこれがあるという自信、音楽を通した人とのつながり、伴奏させてもらってメインの方が拍手を浴びるときの何とも言えない誇らしさ。ピアノをやっていたならではの醍醐味を味わわせてもらった。そんなことはもうできないという切なさと、自分の下手なピアノに対する嫌気がさすほどの劣等感に苦しんだ3年近くの歳月だった。

それでも右手をメインにピアノを弾いていたが、その右手を骨折し手術まで受けることになったのだから、はじめの落ち込みは半端なかった。でもとことん落ち込んだおかげで、これ以上運命に抗うことはやめて、私が音楽の神様に愛されているのであれば、これは意味のある出来事だと信じて、すべてを委ねようという気持ちになった。

きっと同じような思いをしている方は私だけではないと思う。音楽は人の心に触れ、活力を与えてくれる。時に痛みを呼び起こすこともあるけれど、それを昇華させて、新たな世界を見せてくれることもある。その世界を、同じような思いをされている方と共有出来たら、どんなに幸せだろうか。

一人では満足いく演奏ができなかったとしても、音と音を重ねることで音楽は広がっていく。その豊かな響きの中に身を置いてみたいものだと思う。

音楽を演奏することが自信を失うためではなく、もう一度自信を取り戻すためのもの、そして人と繋がるためのものとなるような日を夢見ている。

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