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祭りの準備。

週末の3日間開かれる佐倉の秋祭りに向けてその支度はおおかた整ったようで、町は一瞬静けさを取り戻した感じ。祭禮の主である神社の前には旧町名の提灯がずらりと並んでいる。それぞれが大小様々な山車人形や御神酒所と呼ばれる屋台、神輿を持ち各地区でその出番を待っている。期間中、山車や屋台は旧市街のあちらこちらへ出没し、その間車上ではお囃子の演奏や舞いが休みなく続けられる。この時ばかりは城下町特有の狭くT字路の多い街路がその演出に一役買っていて、引き手、見物人、出店の密集が祭りの高揚感を後押しする。坂の多い街区で急坂をその巨躯が登っていくのも一見の価値ありだ。

まだ喘息が収まらない小学生の頃、町内の子供神輿に参加しようと準備に励んでいたらその疲れが祟ってか当日熱を出して不参加を余儀なくされた。それ以来祭りは「見るもの」あるいは「聴くもの」として定着した。今でも祭りは「楽しくもあり、それでもやっぱり寂しいもの」なのだ。アンニュイな気分をはべらせながら、宿の2階から祭りの喧騒をぼんやり眺めるなんてのに憧れたりする。もちろん宿は古い日本家屋で、酒は気のぬけたノンアルコール。

ふと、自分の祭りがいつだったかなんて、その最中は考えもしないよなと頭をよぎる。いつのまにか櫓だけが片付けられずに残されて、太鼓がぽつんとまた誰かが叩くのを待っている。それもほんとうにあったことなのか。何だか急に歳をとっていく気がして、余念他念とあわてて追い払う。そういえば映画「祭りの準備」好きだったなあ。ATGにはまっていた二十歳の頃。

アルジの本殿もその準備は整った。といっても境内は狭く装いも至って簡素なもの。祭りの表舞台はあくまで町だ。最終日大神輿はここに戻ってくる。

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