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喘息児童の過ごし方。

小学生、とりわけ低学年の頃は喘息とのタタカイの日々だった。秋口、外の空気が涼しく感じられるようになると決まって発作を起こす。気管支が狭くなっているので、横になることが出来ない。ヒューヒューと肩で息をしながら落ち着いてくるのを待つ。発作は夜中に起きることが多く、父親が寝ずに背中をさすってくれたことが幾度もあった。

特効薬はあった。「メジヘラ」といい、口にくわえてシュッと噴霧すればものの数分で嘘のように症状は軽くなる。ただ症状が酷い時には数十分しか効果は持続せず、一晩で使い切ってしまい、なじみの薬局に夜明けを待って電話し店を開けてもらうこともしばしばあった。本当は医師の処方がないと購入できないのだが、事情をよく知っている店の方では都度の処方箋を要求せずに売ってくれた。さらに昔は今と違い「先生の家」というだけで信用があった。もちろん驚くような即効性は副作用も心臓に計り知れないダメージを与えていたのだが、背に腹は代えられない。「メジヘラ」は成人してもしばらくは外出時に必ず携帯していた。

横になるのがつらいので体を起こしている。ガチャガチャと何段階かに背もたれの角度を変えられる座椅子の角度を整え、炬燵に足を突っ込んで日長一日過ごす。横には「サンデー」「マガジン」など主だったマンガ週刊誌が置かれ、症状が軽くなってくると隅から隅まで読む。子どもがそんな体だったからというのもあると思うが、我が家はマンガ読み放題。近所の本屋さんに取り置きしてもらうので読みっぱぐれはない。母親はなかば本気で「この子は毎日通勤するような仕事に就くことは無理だろうから、漫画家にでもなればいいのでは」と思っていたらしい。漫画家ほど過酷な仕事もなかなかないと母親は知らない。もちろん永島慎二の「漫画家残酷物語」などその存在を知る由もない。

マンガ本も読みあきると、今度は親の書棚からランダムに持って来てはパラパラとやっていた。難解な歴史関係の本や母親の趣味だっただろう文芸書などよりどりみどり。子供にとってちっとも面白くはないのだが、活字を追っていれば気が紛れた。「アフタヌーンショー」なんか見ているよりはよっぽど面白い。それにも飽きると次は百科事典である。当時多くの家庭が置きたがった昭和を代表するインテリア。分厚いそれを「あ」から順番に持って来て足に乗せ炬燵のヘリに立てかけて順繰りにページをめくる。これが意外に面白かった。「灰汁」で料理の話だったのが「悪魔」になると魔女狩りなんかが登場するダイナミックな展開。「へー」とか「ほー」とか思っていると時間がどんどん過ぎていった。別冊の地図や資料編も「熟読」する。物事を深く掘り下げもせずにあちこちつまみ食いする悪いクセはこの時できたに違いない。

学校を休むとその日に配布されたものやカチカチで食べる気にもならない給食のパンを紙にくるんでクラスの友達が下校の時に立ち寄ってくれる。母親が「いつもいつもごめんなさいね」などと応対するのを奥の部屋で青息吐息で聴いている。しかし時間がたったあのコッぺパンは食えたものではないぞ(砂糖をまぶした揚げパンは食えた)。誰か食べたい子にあげてしまうということは出来なかったのだろうか。


見出しのイラストは「へん」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。





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