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キャッチボールと桑田真澄

「とにかくキャッチボールなんですよねー」と人をけむに巻くような不思議な笑顔で桑田真澄が言う。「一番得意なのがバッティングで、それから守備、一番苦手なのがピッチング」お決まりの台詞も彼がいうとどうにも憎めないから困る。いや、ほんとうにそうかも知れないなとも思う。

キャッチボールという言葉は、父親と直結している。小学3~4年の頃、喘息が軽くなりはじめ野球のまねごとを始めた私と父親は、家の前の路地でよくキャッチボールをした。家にいるとどちらからともなく「やろうか」という事になる。車一台通れるくらいの狭い道で始めたそれは、徐々に距離を離していき、互いにかなり強い球を返すようになっていった。誰も路上のキャッチボールを咎める人はいない。近所の人が通ると「やってますねえ」などという声に応えながら一呼吸おき、また再開する。

父親の投げる球は、どうだと挑むようになかなか強く、中央のポケットでしっかり受け止めるとこれが結構痛い。しかし捕らなければ上手くはならない。父親は「子どもの頃はライパチ(今では死語)で」というのが口癖だったが本当かどうか。いつだったか、残された当時の通知表を発見し、そこにはいわゆる体育に当たる科目が「8」(甲乙丙丁と10段階の2種類のタイプがあったらしい)とあった。高校では水泳部の主将を務めているので、さすがに「ライパチ」はないと思う。ただ、陸上も水泳も専ら長距離専門の馬力型だったようなので、俊敏性には欠けたのかもしれない。それにしてもせいぜい「ライロク」位のものだったと踏んでいる。

父親が他界したあと彼の日記を読んでいると、子どもとのキャッチボールに触れた箇所があり、これは運動ができるようになったわが子の心をしっかりと受け止める神聖なものなのだ、だから受けたボールは全身全霊で返すのだというような内容が書いてある。泣かせるというか、これはちょっとズルくないか、親父。

親子がキャッチボールをしている光景をあまり見ない。場所もないとなれば投げ方を知らないという子どもが出てくるのもむべなるかな。時折、恋人同士(夫婦でもいいのだが)がグラブを持ち合って興じているのを見たりすると、それだけで二人への好感度が一段上がったりするのです。

蛇足:「とにかくキャッチボールなんですよねー」と言う桑田真澄は、ファーム総監督という巡回コーチの一員に「降格」された。そもそも原辰徳という人とこの人はどう考えても水と油だと思うのだが。一度桑田監督というのを見てみたいというのはアンチ巨人の戯言ではあります。


見出しのイラストは「kiraku」さんの作品をお借りしました。




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