救われるうたについて。
「涙の数だけ強くなれるよ」で始まる歌が苦手だ。発売からこの方一度もいいと思ったためしがない。聴かなければいいのだが、大ヒット曲である故に今でも不意に耳に入ってくる。国民的応援歌などという表現も目にした。そんなものがあったら怖いじゃないか。サザンオールスターズは誰が「国民的ロックバンド」などと言い出したのか。そんな貧しい言葉の中に彼らを閉じ込めないでほしい。
話を戻す。「涙の数だけ~」の何が苦手か。それは「強くなれるよ」(2番は「強くなろうよ」)という表現の通り「強くなることは良い事」を当然の前提として「だからみんな!さあ!」という押し出してくる事なのだ。強さの解釈は人それぞれだとしても。応援ソングと考えればそれでいいのだろうし、この歌に勇気をもらったという人は数多くいるようなので、その「効能」を否定する気は毛頭ない。ただ、あまりやさしくはないな、と思う。
ずっと心の中にいる歌がある。西岡恭蔵(象さん)の「プカプカ」。
この歌のせいで煙草の本数が1%くらい増えてしまったかも知れない大変罪な歌である。ふと思うのだが、ほんとに死にたくなるようなツライ時には、どんなに力強く「明日は来るよ」と言われるより、リアルでもまぼろしでもいい、「おれのあん娘」がいる事ほど救われることはないんじゃなかろうか。
そうれはそうと「涙の数だけ~」と甲本ヒロトが歌ったら、うたの景色はどう変わるのだろう?憂歌団が歌ったら?
見出しのイラストは、光治(みつおさむ)さんの作品をお借りしました。
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