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こどもの好奇心、おとなの無関心。

前回地元の歴博について取り上げた。お盆の歴博はほんとうになかなかの盛況で「しまった、夏休みも終わりにさしかかり子どもたちがお出かけどころではなくなる月末を狙えばよかったか」とややアセりながら見て回ったのだが、ああいうところにくる親子連れは概ね傍若無人なふるまいはなく、むしろ時折聞こえてくる子どもたちの素朴な疑問や斬新な感想を楽しませてもらうことも少なくない。

親子のコミュニケーションもいろいろだ。子供と一緒に熱心に見てまわる親子もいれば、子供は興味のまま自由に見て回り親は隅っこでスマホとにらめっこなんていうのもある。

近世の展示室の一角に江戸の伝説の軽業師・早竹虎吉という人が演じるさまを再現した巨大な模型がある。仰向けになった大人(虎吉)が竿状のものを足裏にのせ、てっぺんでやじろべえのようにバランスを取りながら連獅子のような髪をした二人の子どもが逆さになっているというもの(写真をとり忘れた)。それを見た小学3~4年と思しき子どもが「うわっ、何だこれ」と声を上げた。すると横にいた母親らしき女性が、チラッと模型に一瞥をくれたかと思うと、速攻で子どもに答えた。

「死刑なんじゃない」

ええー、死刑?髪を真っ赤に染めて?それともあれは血だったの?見せしめ?市中ひき回しとか?

いやいやキャプションボードくらい見ましょうよ。それにしても「死刑」という発想はかなりのものだぞ。

親子が去ったあとには子どもの行き場を失った好奇心が、ひらひらと床に落ちていくのが見えるような気がした。

手前味噌になるかも知れないが、子どもの頃は当時としてはそこそこ様々なな体験をさせてもらった方だとは思う(もちろん教師の給料なので限られてはいる)。両親の考えには「何でもいいから興味を持てるものがひとつでもあれば生きていける」というのがあったようで、先々で子どもの行動を見ながらその方向性を観察していたようだ。あまり興味がないと見るや深追いはしない。関心を示すとこれはどうじゃと次の手をチラ見せする。基本的にその時々の関心事を否定はしない。ただしあくまで宿題や手伝いといった「義務」を果たすのが大前提。

おとなは、将来何になりたいか(なってほしいか)だとか夢を持てだとかいう前に、子どもが今何に目を輝かせているかをちゃんと見ているだろうか。といって江戸の町を再現した巨大ジオラマを見ながら、裏庭まで精緻に再現された町家をのぞき込んで「間男の現場とかあったりしないかな」などと一人ブンシュン砲を楽しんでいるこのジジイも大概なのではあります。


見出しのイラストは「いくみ」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。

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