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薮入り

古典落語の演目でも知られる藪入り。小正月と盆に、商家などの住み込みの奉公人が実家へ帰ることが出来るという習慣。労働基準法などができ戦後は廃れ、正月と盆休みの帰省に形ばかりその名残を留めている。当日奉公人たちは主人にお仕着せの着物や小遣い、土産などを持たせてもらい親の待つ家へ向かい水入らずの休日を過ごした。実家に帰れないものは、映画や芝居で自由に休日を過ごしたらしい。お仕着せという言葉の印象も背景を考えればだいぶ違う。親は年に2回のその日を心待ちにしていたことだろう。通信手段・交通手段が格段に違う今を考えると、その思いは如何ばかりか。もちろん今には今のやんごとなき問題が横たわっているので、昔に比べればなどというのはとんだお門違いだ。

藪入りで奉公人を帰したあと、商家は何をしていたのか。母親の生家が福島市の呉服屋だったので、そこでの話。末っ子だった母親はまだ幼く、伯母から聞いた昭和10年前後の小学生の頃の記憶になる。忍び寄る軍靴の音も庶民にはまだ遠く感じていたかも知れない時代。

暖簾を下げて幾日かの「夏季休暇」は、郊外の温泉で過ごすのが一家の恒例行事だったという。行き先は高湯温泉という開湯500年近い古い温泉地。福島市内から当時バスで小一時間かかったかどうか。投宿する宿は決まっていて、玉子湯という老舗旅館。今も変わらず営業されていて、茅葺屋根のある露天風呂がことのほか有名だ。昔、裏磐梯へのドライブの途中に立ち寄ったことがあるが、なるほどなかなかの風情。宿自体は残念ながら建て替えられていていて昔に思いを馳せるよすがはその露天風呂だけ。ただ古い宿帳などが展示されていて、歴史の古さが垣間見られた。

上げ膳据え膳で母親もしばし家事から解放され、父親も一時仕事を忘れて自然の中で英気を養う。子供たちは夏休みの宿題一式を持たされて、スケッチをしたり、虫捕りをしたりして過ごす。気が向けば源泉かけ流しの温泉に。思い切り羽根をのばし、思い切り親にも甘えられた数日間を「それは楽しかった」と伯母たちはいうが、1男3女という構成はさぞ賑やかだったに違いない。小一時間で行けるとは言え、この時代に湯治でもなく温泉宿に何泊もするというのは、なかなかに贅沢だ。さすが温泉大国福島。実家に帰れなかった奉公人はいなかったのかな。番頭さんが対応したのかも知れない。


見出しのイラストは「モモトモヨ」さんの作品をお借りしました。

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