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石仏を彫る。

写真は国宝になっている大分県臼杵の磨崖仏(の実物大レプリカ)。千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館の門をくぐったところに鎮座している。思ったより小さいなと感じてしまうのは、石仏群の一体だけを取り出しているからだろう。それだけに61体あるという現地の石仏群を実際にこの目で見てみたいという興趣がわいてくる。

それにしても磨崖仏の8割が豊後地方に集中しているという。いずれも作者や目的は明らかになっていないが、平安時代末期の「末法思想」が背景にあるようだ。仏像ではなく石仏になるのは、この地を統治していた大神氏が山を信仰しており、そのため山麓の岩盤に仏を刻んだという説がある。阿蘇山の噴火で運ばれてきた古い地層(溶結凝灰岩)は削りやすく製作にも向いていたのが後押しした。それにしても、の偏在ぶりだ。

磨崖仏の多くはまた「水が関係している」場所にあるという。臼杵の磨崖仏がある場所も古くは広大な池を眼下にしていたことが発掘調査で分かったそうだ。浄土では「八功徳水」という清らかな水が流れ込む七宝の池というのがあるらしい。いずれにせよ、そんな浄土を人々は夢見た。

破壊されてしまったバーミヤンの巨大な石仏しかり、岩肌に仏を彫るという行為に人を向かわせるものは何だろう。そこに小屋を建て来る日も来る日も岩盤と相対しながら、あるいはそのすべてを捧げたかも知れない彼らの生の営みとはどういうものだったのだろうか。賽銭ちゃらりで「神様よろしく」位のバチアタリが想うのはせいぜいそんな程度なのだが。ただ、人々を威圧するように立つ巨大観音には感じられない、抗い難いものへの「畏怖」はきっとそこにあるのだ。

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