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内モンゴルにおけるモンゴル語教育廃止について
今Facebookで非常に話題となっている件について。
中国のモンゴル族が住む内モンゴル自治区政府が9月に始まる新学年から、標準中国語(漢語)による学校教育を強化する方針を示しました。
もともと内モンゴル自治区というのは、モンゴルでした。
清朝から独立した後、外モンゴル(北モンゴル)と内モンゴル(南モンゴル)に分断されたのです。
独立時ソ連の影響を大いに受けていた外モンゴルは、1941年にモンゴル語のキリル文字表記を始めました。アジアで最初の社会主義国です。
一方内モンゴルはというと、独自の文字であるモンゴル文字を使用し、同じ言語でも表記が異なるという状態となりました。
ウルドゥー語とヒンディー語のようなものだと理解していいでしょう。
内モンゴル人は自分がモンゴル人であるという民族意識がとても強いため、偉大なる祖先チンギス=ハンにも誇りを持っていますし、
彼らにとってのモンゴル語・モンゴル文字というのは無形の財産でもあるのです。
今回、中国政府は内モンゴルにおける学校教育で使用される言語を中国語に統一するとの方針を示しました。
これまで中国語とモンゴル語の両方で教えていた中国共産党理論や道徳、中国の歴史、政治などの科目を中国語だけで教えるということです。
どういうことかといいますと…モンゴル語で学べなくなるのです。
教科書からモンゴル語が消えるのです。Cultural Genocideです。
この問題は非常にセンシティブなものです。中国当局に見つかったら消されるかもしれないので(私の存在が)あくまで現状をお伝えしようと思います
これはあくまで個人の見解であり中国政府を批判するためのものではありませんので悪しからず。(消されたくない)
これは2014年の内モンゴル、フフホトの写真です。photo by私
写真のように、町の看板には漢語とモンゴル語が併記されています。
草原に案内してくれた内モンゴル人はモンゴル語の名前でしたし、モンゴル語を話せますしモンゴル文字でモンゴル語を書いていました。
でもね、全然街中でモンゴル語を聞かなかったんですよ。
2016年、モンゴルの首都ウランバートルに留学した時、外国人寮に入寮し暮らしていましたが、内モンゴル人がたくさんいました。
彼らの留学の目的は様々でしたが、内モンゴル人なのにモンゴル語が分からないからモンゴル語を学びに来ている人だとか
モンゴル語はわかるしモンゴル文字も書けるけどキリル文字が書けないからモンゴル語を学びに来ている人だとか、ほんと様々。
方言も強くて最初は何言ってるか全然わかんなかったです。
でも彼らは圧倒的に自分がモンゴル民族であることに誇りを持っていました。
だからこの政策が発表されたとき、内モンゴルでは案の定デモが起きました。モンゴル人がモンゴル語で学ぶ権利を剥奪するな、と。
母語で学びたいよぉ、と泣きわめく内モンゴルの少女の動画や
モンゴル文字で署名を書く年配の方々の画像が拡散され
内モンゴル出身の人気ロックバンドたちが母語を守るための署名活動を始めたり
各国(日本含む)で中国大使館前で今回の件に関するデモが開催されたり
日本のメディアは報道しませんが(日本と関係がない場合はそういうもんですよね)この問題は非常に大きく広がっています。
私は日本人であり、母語も日本語ですがモンゴル語学徒として、あの美しいモンゴル文字と内モンゴル人の話すモンゴル語の響きを守りたいと思っています。
事態が良くなりますように。
今はただ、情報を拡散させ、見守ることしかできません。
次の記事では内モンゴル出身のロックバンド紹介とかやろうかな。
最後に2017年、当時の彼氏の実家(内モンゴル自治区バヤンノール市)で遊牧した時の写真を載せておきます。
羊は本当におばかちゃんなので、すぐいろんなとこいっちゃいます。
朝五時に起きて羊を数え、一時間ごとに羊を確認しに行く生活でした。暇極まりなかった。またね!!!
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