丁寧な暮らしで支えられた学校制服と幼少期の私。

街に出ればおしゃればかり

最近のちびっ子はとってもおしゃれ。きっと両親がおしゃれなんだと思います。子供もおしゃれに敏感なのかもしれない。

昔に比べて洋服が買いやすくなったり、簡単にトレンドを知れる時代になったというのは大きいと思います。おしゃれのバリエーションが増えたことや、価値観の多様化もおしゃれっ子を生み出す要因かもしれません。

おしゃれと無縁な幼少期

私の小さい頃もおしゃれっ子はいました。毎日学校の服の私はおしゃれとは程遠く、そもそも「私服」という概念を理解していませんでした。私が持っていた服は、母が選んでくれた洋服、学校指定の制服、レッスン着の3種類。幼少の頃から習っていたバトントワリングのチーム専用のレッスン着を持っており、それをよく着ていました。バトンっ子は女子が圧倒的に多いのでデザインも女子目線。そんなもんだから、レッスン着で友達と遊んでいると、胸元にがっつりあしらわれたハートマークを見て「それ妹のシャツ?」と笑われたりもしました。でもそんなこと気にせず遊んでいました。

制服は必要?不要?

先日、「学校制服は必要か否か」というインスタをみました。「子どもの成長に合わせて、決して安くはない指定の制服を何度も買い替えるのは大変。手直しによってきれいになった制服をリサイクルできる仕組みがあればいいのに」「そもそも制服自体がなくてもよいのでは?」という内容の投稿。

価格を調べてみると、制服って上下で4万円くらいするんですね。成長に合わせて何度も購入するとなると制服代も馬鹿になりません。

制服があってよかった

私は小中高と指定の制服を着て学校に通っていました。兄のお古や、母がもらってきた誰かのお古も着ていたと思います。今から30年前くらいの話ですが、今のように洋服は安価ではなかったし、そんなに服も持ってなかったと思うし、ほぼ毎日学校指定の体操服(半袖短パン)のまま遊んでいた記憶があります。帰宅後、友達が私服に着替えていると、「なぜ遊ぶためだけに服を着替えるの?」と、その理由がわからなかったのを覚えています。

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毎日同じ服を着ていて「洋服選び」の面倒臭さとも無縁の生活だったので、制服があってよかったと思います。

朝は母に叩き起こされ、どやされながら支度をするも、朝6時45分から始まる一休さんだけは欠かさず見てギリギリに出発する私には、服を選ぶという時間はありませんでした。もし服選びの為に一休さんを見れていなかったら、幼少期の私はストレスを抱えて日々を過ごしていたでしょう。

みんな同じで助かった

みんな同じ服を着れるということも制服の良さだと思います。子どもはすぐ違いに気づきます。毎日同じ服の子や、服をたくさん持っている子。いつもおしゃれな服を着ている子。ファッショナブルな服を着ている子は人気になったでしょうし、ずっと同じ服ばかりの子はおしゃれな子と比べられたかかもしれません。そしてもしそれがいじめの対象になるとしたら、バトンの服を着る私は「女子の服を着ているヤツ」としてからかわれていたかもしれません。

有難きお古、お直し文化

母は裁縫が得意で、裾直しや綻びのお直しをよくやってくれました。廊下をスライディングして出来た膝の穴は、いつも怒られながら直してもらっていました。縫ってもらった靴下の穴は「ダイアモンドが見えてたよ」なんて言われてたっけ。

お古とお直し。我が家にはこの2つがあったし、よその家にもあったと思います。大きな制服の袖を折って着ていた子もいれば、お古のランドセルを使っている子もいました。習字道具にリコーダー、水着だってお古を使ったことがあります。私のものもきっと誰かのお古になっていたでしょう。みんな同じような文化圏に暮らしていたし、そこには循環の仕組みがあったのだと思います。

「大切に使おう」「まだ使える」「もったいない」この言葉は小さい頃から何度も言われ続けてきました。私の父は高価なものを貰うと「有難い、罰が当たる」とよく言います。物に対する敬意をこめた言葉選びとその態度は昔から変わりません。

「高価な物だからこそ大切に。」「まだ使えるから必要な人に使ってももらおう。」

失いつつある丁寧な暮らし

制服が高いことも、だからこそ丈夫なことも昔から変わらないと思います。変わったのは私たちの生活のほうではないでしょうか。近所づきあいが減り「お古」や「お直し」、「お直し依頼」が流通しにくい希薄な人間関係と、「ちょっと直してみよう」を必要としない物に溢れた生活。あの頃と比べて子供の成長の早さも制服を汚す頻度も、親の苦労もそんなに変わっていないはず。一方、地域や人の支え合いで過ごせた時代は、苦労を乗り越える力が今より少し強かったんだと思います。

あの頃にあって今減ったものが「生き抜く知恵と気力」だとしたら、あの頃よりも増えたのは、便利さが与えた「底なしの欲」と「比べる心」なのかもしれません。

「ボロは着てても心は錦」これも父がよく言っていました。貧しさを知恵と心ではじき返す、私の大好きな言葉です。親が子供にあげられるのは、立派な制服よりも、「心は錦」の教えなのかもしれません。

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