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感情という単語は要らないんじゃないか?

暫定的な推論を言うよ。言い切り形だけど推論だからね!

基本的な感情は2種類しかなくて、「嬉しい」と「悔しい」だけだ。

嬉しいは階級が上がる方向、悔しいは階級が下がる方向。

2つしかない感情を1つの単語で表す必要はないんじゃないか?

そしてそれは自意識とも同じだと推測できる。自意識は嬉しいと悔しいを感じていることであり、それ以外ではない。

個人の経験やエピソードは自意識とは切り離して別に保管されている。人は自分のことを他人事のように語ることもできるんだ。自意識とエピソードを切り離せなければ、客観視も不可能なはずだから、客観視ができる人なら切り離せているはずだ。

まとめると、自意識は嬉しいと悔しいの2種類の「動き」の中にしかなく、エピソードとも切り離せる。これが暫定の結論だ。

褒められる⇨階級が上がる⇨嬉しい
けなされる⇨階級が下がる⇨悔しい

感情という単語は必要ないんじゃないかな。

人間の会話も「褒める」か「けなす」か多い。情報の交換だけに留めておく事ができず最後に少し感想を述べてしまう。
そしてその結果も階級が上がるか下がるかのどちらかの場合が多い。

もちろん歴史を学ぶ時に神々の名前を覚えたりする様に、史実を語る為の「感情」という単語は必要だしコンテンツとして楽しい。

ただし未来には必要ないかもね。


2022/10/27



最後に質問があるよ。
サイコパスな人の話を聞いている時にどういう気分になるか教えて下さい( ʘ‿ʘ)
お願いします!

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