そんなに売れるというわけでもない商いにも意味がないわけではない─2000字小説

ニューヨークのスラムというほどではないが、やや錆びれた裏通りといっても差し支えないストリートにあるアパートの入口に老人は腰を下ろしていた。
老人は商いをしているようだった。
痩せさらばえたその老人の斜め下を見下げるような眼差しはやや険しかった。
老人は黙りこくっている。

四つ向こうのストリートにはタクシーや人の往来がはげしく、ニューヨーカーといわれる人たちが速足ですり抜けていた。

その大通りから4つしか離れていないその老人がいるストリートは人通りもまばらで、薄い日差しが差し込んでいる。
ぴゅう~っと風が吹き、軽く砂ぼこりのようなものが舞った。
秋も深まり、もうすぐ冬が来ようとしている。

老人は日本でいえばゴザかなんかを思わせる大きな布をしき、その上にペンやライター、たばこやナイフを無造作に並べている。腰のあたりには小さなバッグがある。
売り上げ金を入れているようだ。
売り上げ金?
ニューヨークなんてもうキャッシュレスが進んでるハズだろう?
いやこれは1970年代から1990年代のどこかであったはなしです。
曖昧だな。
あっ、いやつまり直接今日のはなしではないということです。

背広を着たNY市警の警部補が若手の刑事を連れて、この老人の目の前に立つ。
老人は何しに来やがったとでもいいたそうな怪訝な視線をこの2人に向ける。
警部補としては、このストリートでシャブの取り引きがあるとの情報を聞きつけており立ち入らぬわけにはいかなかった。
「うるせぇ、知らねぇっつてんだろ」
老人は明らかに腹をたてていた。

警部補は今日のところは一旦下がった方が利口と考えたのか、老人につかみかかろうとした若い刑事を制して元来た道を引き返していった。

「おじちゃん、どうしたの?」
通りの斜め向かいでアスファルトに石ころを使って絵を描いていた少年が近寄ってきてはなしかける。

「なんでもないさ、ボンズが心配するようなことじゃねぇ」
老人はそう答えると、それまでの険しい顔からようやくほんの少しだけ笑みが漏れた。

「おじちゃん、毎日ここでこうやってるけど、売れてるの?」

「ああもちろんだ。このカバンのなかに売り上げたお金を入れてるんだ」

中を見せてくれたが、お札のようなものが二枚と小銭が底に散らばってるのが見えた。

ゴザのような大きな布の上には、どこで仕入れたのか、やや高そうなペンやパイプが置いてあった。

「おじちゃんは、メインストリートでビジネスをやらないの?ニューヨーカーにはならないの?」

「オレは大学なんざは出てねぇんだ。
ボンズの両親も一緒だろ?
オレなんかはハイスクールも途中でやめちまったんだ」

「えっ、ハイスクールも?どうして?」

「親父のやってた会社が潰れちまってね。悪どい連中にやられたんだ。親父は行方をくらましてしまい、母ちゃんってやつも男と一緒にオレと妹を捨てて逃げちまった。妹はイリノイの親戚の家の御厄介になったが、オレは嫌だったから逃げた。そしてここへ流れついた。妹は7年前にオレの居場所をつきとめて、たまにここに会いに来る。妹は町の診療医と結婚していたんだ。どうやら一応しあわせらしい」

「ふ~ん、でも、おじちゃんはこの街が好きなの?」

「ああ、まぁ、一応気に入っているかもしれないね。この錆びれた感じもオレに会ってる。ニューヨーカーって連中は好きじゃない。金ばかり追いかけてるし、そのためなら何でもやりますみたいなヤツばっかだ。成功してる連中は退屈だ」

「僕はねぇ、この街を抜け出すつもりなんだ。だってうら寂しいし、お城のようなお家でもっとスプリングの利いた大きなベッドの上で寝るんだ。
毎日キャデラックに乗るんだよ。考えただけでワクワクするな」

「そうか、そいつは楽しいかもしれないな。ボンズなら頑張ればできるかもしれねぇよ」

「だって、ビジネスで成功すればものすごく沢山の人をしあわせにできて、自分にも沢山のお金が入ってくるんだよ。カーネギーやフォードみたいにね。これ以上ワクワクすることはそうないよ」

「カーネギーやフォードか。そいつはまた、ずいぶん大きな夢だな。でもボンズならできるかもしれねぇな」

「おじちゃんは、こんな小さな商売をしてて面白いの?誰かの役に立ってるの?しあわせなの?意味あるの?」

「意味がねぇなんてことはねぇさ。
大きさが違うだけのはなしだろ。
ここで売ってるものだって誰かの役には立ってるんだぜ。メインストリートのビジネスマンとオレのやってることは大きさが違うだけで形は一緒なんだ。そういうのを数学では相似っていうんだ」

「えっ、かたちも全然ちがうように見えるけど。第一売れない日もあるんでしょ?パンを買えるの?」

「ボンズが心配することはねぇさ。ちゃんとどうにかなってるよ。
でもボンズに言っておきたいことがあるけど、ボンズ、大きさだけでものを見るな。大きければ偉いって保証はどこにもねぇんだ」

老人の顔は少し怒りで引きつっていた。なにか思い出したくないことを思い出したようにも見えた。

向かいのアパートから少年の母親らしき人が顔をのぞかせ、少年を呼び寄せた。昼食の支度ができたようだ。

「おじちゃん、じゃあね」

少年はそう言うと走り去っていった。

少年が行ってしまうと、老人はふたたびやや険しい顔つきに戻って誰ひとり歩いていない裏通りを見つめていた。

ここニューヨークでは大小様々な商売が行われている。

「大きさだけでものを見るな」

少年は老人が言ったこのひと言を将来のどこかの時点で思い出すことはあるのだろうか…

薄い日差しの差すこの裏通りにふたたび木枯らしが舞った。

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