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信用できない(自分から見て)人とは何なのか?

おはようございます、木月まことです。

今日は「信用」ということについて考えてみたいと思います。

というのは、YouTubeのタイムラインをスクロールしていて
「信用できない人の特徴」みたいなサムネイルをたまに見かけるため
今日は、この「信用」というヤツについて、自分なりに考えてみようというわけです。

職場などに長く勤めていますと、たまに「どうもこいつは信用できない」という人はでてきます。
いえ、こう言って、ある苦しさを感じるのも事実です。
僕も、職場の誰から見て「どうもこいつは信用できない」と思われることは、ままあるだろうからです。
僕が、職場で絶大な信用を受けてれば、それなりの地位を獲得しているハズです。

で、職場とかで、「どうもこいつは信用できない」という人を自分なりに考えてみました。
で、あるいくつかのことが見えてきました。

ひとつは、その人は、僕に依存して(ほとんど)ないということです。
彼は、他店舗の閉鎖でうちの店舗に来た人でしたが
僕と同位の年齢は自分より、5・6歳年下の人でした。
結論から言いましょう。
彼は、ある意味自立している人でした。
それは、その店舗に昔からいる自分を鼻にもかけないからです。
でも、よくよく考えると、それはまったく当たり前のことだったのです。
彼にとって、僕と仲がいいことはメリットがありません。
僕も、また、彼に個人的な(これが重要です)メリットを何も提供してなかったのです。
コンビニのホットドッグ1本おごってあげたわけではありません。
缶コーヒー1本おごっちしてあげたわけではありません(缶コーヒー1本で人が釣れるとはまったく思いませんが)
その店舗で、自分はベテランなのだし、年齢もこっちが上なのだから当然……という仮定は、僕のバカげた考えでした。
つまり、それは僕の思い上がりだったのです。
彼は、聞いてみると、早くに母を亡くした人であり、父と二人暮らしで、ご飯なんかは、もうレンジでチンするヤツで、家は半分ゴミ屋敷だというはなしでした。
彼も、いろいろ悩ましい境遇の人であり、僕なんかは、彼の悩ましい境遇の救いには無論ならず
社員になって出世を目論んでるわけでもない彼は、会社にも、そんなに大きく依存してるようには見えませんでした
同性である自分は、彼の自慰のおかずにも、恋愛妄想のネタにもなりません。
同じ趣味を語り合える友にもなりえません。

それは、損得勘定だ!と非難することもできるでしょう。

でも、パート勤務で、自店舗閉鎖で、遠くの店舗に異動になり、母を早くに亡くして、彼女ができるわけでもなく、父と二人暮らしみたいな境遇の人が、異動先で、そこのコミュニティーに八方美人の慈善を振りまくだろうなんて考えることは、もうそっちのほうがどう考えてもおかしく
彼は、少なくとも、犯罪者ではないというところで妥協すべきだったのかもしれません。

おそらく、彼も彼なりに必死で、こちらは、彼に缶コーヒー1本の便益すら提供していないのです。

むしろ、齢が5か6上だからとか、この店舗に僕の方が長くいるからみたいなところで尊大な気持ちをもってしまった僕の方が大バカ者だったのです。
僕は、年長者であることや、店舗経験が長いことの特質を生かしたアシストを彼にしてあげたわけでもなかったのです。

「どうも、あの人は信用できない」と思えた彼のことをいろいろ分析してみると
つまり、彼は、自立した人であり、彼は彼なりに悩ましい境遇を生きてる人でしたが、彼は彼なりに、まわりに迷惑をかけないようにしていたともいえるのです。
僕は、そんな悩ましい彼の救いにはまったくなりえない人であるにも関わらず、そこに長くいるからとか、年齢が5か6上だからみたいな理由で尊重されるだろう、いや子分かなんかみたく慕ってくるだろうとチラっとでも考えたのはまったく僕の方がバカだったのです。
僕は、よく考えると在籍期間中(そこの職場は僕は6年前に辞めました)に、彼に130円とかの缶コーヒー1本分の便益すら供給していないのにです。

つまり「あの人は信用できない」は
「信用できない」と考えた自分のバカさ加減がどちらかといえば浮き彫りになってきただけなのです。
彼は、いわゆる詐欺をやってる人ではなく、意図的計画的にまわりをふりまわそうとしてる人でもありませんでした。
むしろ、自立した人であり、自己責任的に人生を全うしようとしていると考えるとつじつまが合うようです。
僕は、彼のことを(自分を棚に上げ)サイコパスじゃねぇか、みたく思ったこともありましたが
自己責任的に人生を全うしようとしていた彼の役には立たない人間関係の中でビミョーに壊れてしまっていただけなのかもしれません。

こんな弁護っぽい供述を、彼がもし見ることがあっても
彼は、多分、喜ばないでしょう。
こんな分析は、彼の人生の傷を埋めるにまったく値せず
多分、コンビニのホットドッグ3本分の便益にすら及ばないでしょうし
「君の見方は間違ってる」とか一蹴されるかもしれません。

彼は、他者というほどの人はいない空間を生きているのかもしれません。

「他者不在は究極のエゴイズムである」みたいな喝破をどこかで見たことがありましたが
個人的には、まだ凶悪犯罪というほどのことをしでかしていないなら、そのエゴイズムを糾弾するより、他者というほどの人はいない苦痛な人生空間に思いを馳せ、その助けにはならない自分を少しでも自省するくらいが丁度いいのではという気がすることもあります。

「信用できない」というのは、つまり、僕の権益の見通しが崩れる可能性が半分はあるということでしょう。
つまり、半分は僕の身勝手であり、彼が僕に仕えてくるだろうみたいな、自分が上に立った、しかもどういう根拠があるのかよくわからない上に立った見方だったのです。

とはいえ、僕のように末端の従業員でしかなく、あとは、ネットに個人意見をポチポチアップしてるだけの境遇の人ならまだしも
営利組織とか、何らかの実業組織をしてる経営者や管理者の立場に立てば
上下のヒエラルキーに即して、その組織の追及目標を大いに損ねかねない人は「信用できない」というジャッジではじく必要も実際にはでてくるでしょう。

だから、何らかの現実目標を追求してる組織体であれば
「信用できない」という物差しは不要ではないのかもしれません。

しかし、僕のように、はっきりした現実目標を見失いかけてる、バイトはやってるけど、かなりフリーランスに近い個人にしてみれば
「信用できない」という感じ方は、ただ単にそう感じる僕の愚かさをつきつけられたという次第です。
彼は、自立した人であり、そんな彼の苦痛をまったく軽減できず、何の便益も与えてない自分のまったく思い上がった感じ方だったのです。

まとめると
「信用できない」人は、本格的な詐欺師とか、意図的計画的にまわりをふりまわそうとしてる人でなければ
自立した、こちらには依存してない(またはできない)人
こちらも、その人に何の便益(個人的に、缶コーヒー1本分すらの)も与えていない(またはそれができない)人であることが見えてきたということです

しかしまぁ、職場など現実目標がある組織などでは、目標に照らし合わせて
権益を損ねかねない人を「信用できない」というジャッジではじくことも便宜的にあるでしょう、ということです。

つまり、「信用できない」とは、こちら(自分)の立場の一方的な絶対化の場合が多いということです。
とはいえ、営利組織の雇用者であれば、こういった現実的なものさしも実際には必要ではあるでしょう。

もちろん、他に、「信用できない人」を、首尾一貫性がなく、意見や選択をころころ変える人みたく定義することもできるでしょう。
でも、その場合も、完璧な首尾一貫性を維持してるのは100人に1人以下で、他の人は、状況の変化の中で、つじつま合わせに四苦八苦してるのが実情であり、そんなことにも気づけない自分の愚かさが浮かび上がってくるし、また自分の立場の一方的な絶対化ということになるでしょう。
また、さらに、知りえた情報などを軽率に漏らす人なども「信用できない」人になります。
その場合は、どの程度どの情報を秘匿にすべきかの価値基準が、自分のそれとかなり違うというだけのはなしなのかもしれません
つまり、どういう場所でおならをするのがゆるされるのかの個人判断と似たようなものなのかもしれません。
とはいえ、軍事機密や外交機密をやたらに漏らされれば人命がそこなわれる場合もありますが
それでも、たとえば、権力側は庶民の情報を何でも知りえるのに、逆は不可能という不公平があり、これも、社会や権力の側の立場の絶対化ではあるかもしれません。

長い文におつきあい下さりありがとうございました。



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