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その日…

夕方というには少し早い時間、派遣バイトの仕事が終わった。

最寄りのバス停の時刻表を調べるためにスマホをカバンから取り出す。

noteの通知アイコンがついている。

スキがふたつ入っていた。

ここしばらく長文記事は発表してないし、この一週間に限定してみてもつぶやきをひとつ打っただけだったから突然入ったボーナスに軽く気持ちが浮き立った。仕事はもう終わってるのだからなおさらだ。仕事場の階段から見える夏とも秋とも判別しがたい青空がきもちよかった。

ターミナル駅に向かうバスは労働者で既に込み合ってる。

運よく席に座れた僕はうとうとしかけていた。朝早かったし、そんなにたっぷり寝たというわけでもなかったからだ。

バスの中でスマホに着信音が鳴りだす。

自宅からの着信だ。珍しいことだ。

不安があたまをよぎり、いったん切って、次のバス停で降りてかけなおした。

トラックと僕がその日利用することになっていた私鉄の車両がぶつかって不通になっているというはなしだった。

妹がバイクで事故って病院で意識不明みたいなシナリオが頭に浮かんでいたので、やれやれと思いつつ正直ほっとした。

スマホで○○線×不通で検索をかける。

今日いっぱい復旧の目処は立たず、トッラクを運転していた人は67歳、死者はでていないようだ。

記憶は曖昧なのだが、僕はその時点であのおそろしい画像をまだ見ていなかった。

当面の問題はバスを途中下車してしまったことだ。

すぐ次のバスがくるだろうけど、まず座れない。
しかし家族のわざわざの親切を呪う気にもなれない。

1㎞くらい離れたところに電車の駅がある。
そこまで歩くことにして、もう一回バスに乗り直すのはやめた。

ターミナル駅に着いて別の路線に乗ると案の定、振替輸送客で車内はぎゅうぎゅう詰めだ。

すこし面倒くさいやり方で帰った。

車内はすし詰、またすし詰…少し萎えたが、これではトッラクの運転手には相当な額の請求がいくだろう。67歳で人生が大暗転してしまった人の不憫を思うとこの程度の苦痛はまだマシなほうだとそれを飲み込んだ。
僕はあまりスマホとかで事実のしつこい深追いはしないタイプなため、事故の事実についてこの時点でかなり思い違いをしていた。

やっとこさ家に着いて、家の者に聞かれたが疲れていたので適当に受け流すと、着替えて用意されていた夕飯を食べて、さすがに事故の詳細を知りたくなりスマホで見てみる。

いくつかの情報を、画像付きで見て愕然とした。

車輛とトラックも無惨なかたちになっていたが、自分がよく知ってる場所のよく知ってるあの道にみかんが沢山散らばっている。ある時期毎日みていたあの道にみかんが沢山散らばっている。その踏切りのそばの駅は、その私鉄の全駅のうちで、いままでの人生で利用回数10本指にはいる駅だった。もっともここ10年以上はほとんど通過するだけだったが。

家に帰るまでトラックの運転手は当然トラックから逃げ出しただろうと想像していた。夕方の情報では死者は確かいなかった。
事態は僕が勝手に想像していたより凄惨なものだった。

運転手は朝の4時からトラックで果物を運ぶ仕事をしていて、通り慣れない道を通って踏切りを曲がり切れなかったのだそうだ。

踏み切りの前後はド直線の区間で視認性もよい場所なので、前方にトッラクなどが立ち往生していればもっと早くブレーキをかけられなかったのかと訝しくなったが、モーレツな勢いで突進している快速特急だから、前方にまずあり得ない光景が展開していてもそんなに簡単にブレーキモーションに切り替われないのかもしれない。素人が憶測であれこれ語って流言飛語みたくなったら大変だからこれ以上そこには触れない。

67歳で朝の4時から仕事をしているような人の生涯がこんな形で幕をおろすことは受け入れがたかった。

その日の朝は僕も4時とまではいかなかったが、朝の5時半には駅近のコンビ二でバイト先で食べる昼飯の物色をしていた。

僕は絶望的な面倒くさがりだから労働だの仕事だのは本来あまり好きではなく、本音を言えば趣味悠々に好き勝手に生きたい。

でも、その日だって、朝の5時半には働いてる人がかなりいた。
コンビニの店員、電車の運転手に車掌に駅員、路線バスも走っていた。
この時間に働いているひとは思っているより多いのだ。
平日だと朝の5時半でも仕事へ行くと思われる人が駅にかなりいる。
自分はそこに混じっていたことに誇りを感じてたわけじゃない。
どちらかといえば仕方ないといような諦めに近い気持ちだろう。
朝の5時半の駅のホームなんて、こんな言い方はよくないのかもしれないが、仕事のできなさそうな風采の上がらない感じの人が大半だ。自分なんかがそこに混じってるのはもっともだとしても、社会はそういう人たちのおかげで成り立ってる。もちろん厳密なてこ入れをすれば社会に不要なしごとも沢山あるのかもしれない。
その日だって、あのトラックで運ばれるみかんは誰かに必要とされたはずなのだ。もちろんなければ死ぬほど困る人というのも少ないのかもしれないが。

農家の人たちは67どころか70を過ぎても朝の4時には畑にでているよ。

まぁ、確かにそうなのだろう。

しかし67歳で朝の4時から仕事に就いてる人の結末が、あの散らばったみかんだという理不尽のショックは完全には収まってない。

ただ、人生にその必要がある限り僕もほかの人も朝の5時半だろうと夜の10時だろうとこれからも仕事にでかけるだろう。


(あとがき)久々の一日二投稿です。じつはこの投稿の数時間前にべつの記事を発表したばかりなので、この記事の発表は明日に、と考えていたのですが日を置くほど意味が薄れてしまいそうな内容なので今日出すことにしました
こういった事故も他人事にしか感じられなかったひともひょっとすると多いかもしれません。自分の場合ですが、たまたま、みかんが散らばってる場所がよく知ってる場所だったということ、その日その路線を通勤に利用するはずだったこと、朝の4時ではないけど、自分も朝早く家をでた労働者のひとりだったこと、偶然接点が3つか4つ重なるととてもリアルに感じられ重たく響くものです。逆に言えば、神奈川なんて行ったこともないしよくしらない、移動に電車なんかを使うことはまずない、労働者なんかではない、朝早く自分の意思に反して出かけたり仕事に行く必要がない、歳をとって労働をするしんどさの見当がつかないという人であれば接点不足で今回の事故もわたしの文章も何も感じなかったかもしれません(接点は少なかったけど何も感じなかったわけでは決してないという人もいるでしょう)もっともわたしの文章からなにも感じないのはわたしの筆力の不足であるかもしれないので、そうであれば、それはわたしの課題でしょう。悲しみに暮れていたわたしもこうして文を書いているうちに不思議と気持ちが前向きになっています。こんなことを言える立場でも全然ないのですが亡くなられたトラックの運転手のご冥福をお祈りしたいと思います。

御一読ありがとうございました。

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