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医療や栄養(学)は本来看る力量

こんにちは、木月まことです。

今日は雑記になります。

医療や栄養(学)についての完全な素人による門外漢的な雑記になります。

ですので、そちらの方の専門家の方が万が一これを読まれて苦笑するような展開になりましても非常に有害というのでない限り右から左へ流して頂けたら幸いであります。

では、どんなはなしでしょう。

どう始めようかな…

じゃあまず、すべての人がコラーゲンを欲しているわけではないと言えば、栄養学の専門家の方たちも「そりゃそうだ」と納得いただけるでしょう。

しかし今日のようなインターネットの時代になりますと、人々はジャンルに関わらず、創作など個性が評価されるジャンルを除けば、どうしても一般論を主張したくなるんです。

一般論とは個々の事例にベッタリ付き合うのではなく、その個々の事例から抽出された10のケースで7以上はあてはまる何かを含んだ主張です。

医療や栄養(学)に携わる方たちだけでなく、多くの人が個々の事例を語るより一般論を語りたがるんです。
これは私もどちらかといえばそうなんです。

インターネットの普及で非常に多くの人が一般論をやりたがるんです。これはわたしもそうなんで、そういう人を悪くいう筋合いはないし、また悪く言おうと思ってこれを書いているのではありません。しかし誰かがあくまで個々の特定の人と向き合ったとき一般論的な主張はかえって邪魔になることも多いと思います。

一般論ってのはもちろん北海道でも沖縄でもそんなに変わることなく通用するような普遍的な何かです。しかし、ある人がこの一般論をもってして特定の個人に向き合うとややこしくなる場合も多いんです。

そういったことが比較的起こりやすいのが医療や栄養(学)みたいな分野だと(だけではないにせよ)思います。

というのは、これらのジャンルは一般論を一般論的に押し付けるより、むしろ個々の事例をあくまで個々の事例として仔細に眺めることが要求されるんとわたしは考えます。
でも医療や栄養(学)に限らずいわゆる専門家として自立しますと往々にして、個々の事例より一般論を堅持して主張することのほうが重要になってくるケースが多いようです。

これは占い師みたいな商売もそうなんです(僕は占いについての記事も書きますが、いわゆる占い師ではありません)

本来は個々別々の事例に、一般論を一旦捨てて向き合って、これを個々の事例として看ることが大事になってくると思います。

ジョギング健康法の大家はだれにでももジョギング健康法を勧めたいんですね。
でも、個々の事例を仔細に眺めれば、すべての人が今の環境で、明日からジョギングを始めればより素晴らしい健康が約束されるわけではない。
むしろ悪化する場合もあるわけです。

そんなの当たり前じゃないか!

何をそんな当たり前のことをいちいちというんであれば、わたしのこの文章はまったく不要な人にこれを押し付けてしまったようです。

このように一般論というのは、いらない人には薬にならないんです。

そうすると、個々の事例に個々の事例として正面から向き合い、これに耳を澄ますことが必要になる場合もあります。

インターネットはどうしてもその本来の性質上、一般論を語るという方へ人を傾かせやすいんです。

だって、わたしの性生活の失敗談なんかを他人が読んで面白い形にできる人は相当限られてますし、そうすると個人的でしかないはなしをするよりどうしても一般論に傾くんです。

そうすると占い師だと、今月の水瓶座とか今年の水瓶座とか、十把ひとからげにして水瓶座の人をまとめて論じるみたいな概括論になりやすいんです。

でも占いなんかは、あんまり個々の事例にベッタリ寄り添うより、一般論的な大雑把な暗示を提示するにとどめたほうが面白いし有益な場合も多いのかもしれないけど(窓口で個々の事例を直接占うやり方は「○○の母」レベルにならないと生活が苦しいというのもありますし、窓口に立つのに向かない人もいるでしょう)、医療や栄養(学)など健康に関するものだと、一般論の堅持とこれの強引な押し付けが必ずしも幸いするかはわからないので、心眼みたいのを養って個々の事例を看ることが大事になってくることも多いでしょう。

もっとも専門家として大御所の(年齢)域に入り、個々の事例に直接当たるより一般論の普及により時間を割かなければいけないような立場の人はまたはなしは変わってきます。

しかし比較的若い方で、栄養(学)や薬学などをやられている方は、ごくたまにですが「これこれのなになには絶対に効く」とか「これこれのなになにはあなたの健康に絶対に役立つ」みたいな盲信を抱えている方もたまにいるようなので、こんな文章を書いてみた次第です。

というよりぶっちゃけ話をすれば、わたしが調子の悪いとき、それを家人にもらすと、絶望的に状況にそぐわない一般論的な健康法を押し付けてくるんですね。
大人しく布団で寝てたほうがいいようなとき「ジョギングしてこい」みたいなはなしになったりして(実際にジョギングを勧められたわけではなく、似たような何らかの健康法をしつこく押し付けられて消耗したということです)いざこざが絶えないというすごく情けないプライベートな状況がこの文章を書かせています(ああ、情けない)
こうなるとどうなるかといいますと、ある一般論と別の永遠に相入れることのない別の一般論の絶望的平行線というシナリオが展開されるわけです(絶望的に情けない)
僕の作り出す一般論は、舞台裏をはなせば実は家人の無理解というチョー情けない家庭事情もひと役買ってるんです。(ああ、情けない)
一般論をばら撒くのは、インターネット時代の人々の宿命みたいなものだし、その多くは有益でしょうから、それはそれでよいのかもしれないけど、医療や栄養(学)(だけではないけど)などのジャンルは、場合によっては一般論を押し付けるより、個々の事例に耳を澄まし、これを看ることが重要な場合もあると思うわけです(とはいっても1人あたり5分以上はまず割けない医療窓口の現状では、実際と乖離した空疎な一般論でしかないかもしれませんが)

以上で、一般論の御託は終わりになります。

お付き合い下さった方、ありがとうございます。

一般論を一般論として広くこれを普及しようとすることと、個々の事例(人)に個々の人として向き合い、これに耳を澄ますのは随分性質の違うことで、インターネット時代は一般論の普及により人々をはしらせるので、個々の人を個々の人として看ることは軽視されやすい傾向もあるということを、多少の自戒の念を込めてこれを書きました。

(あとがき)
ああ、やっぱり親孝行が足りないのかなぁ、とか、これは天罰やろか、とか多少アニミズム的な因果づけに走る自分がいます。
もっと稼がにゃあかんかな…
派遣バイトだけじゃたりないかな…

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