本人の意思の尊重とミニマリスト

こんにちは、木月まことです。

あなたはズバリ、ミニマリストですか。

それとも余計なものを持ちすぎて困っている人ですか。

持ちすぎて困ってる?

でもそれはお金をではないでしょうし、セフレや愛人を持ちすぎてるとかじゃありませんよね。

持ちすぎて困ってるのは、多くの場合、押入れにしまってあるオタク的な、他の人から見ればガラクタに近いものか、インターネットでやりとりをする知人が多すぎるみたいなはなしじゃないですか?

それはともかく、今日は、本人の意思の尊重とミニマリスト的な生き方の関係についてです。


本人の意思の尊重というのは今日の社会の基本合意ですよね。

でも、本人の意思が過剰に尊重されると、何割かの人は結局ミニマリストにたどり着くのではないかと最近思うことが多いです。

6歳のこどもが、「あなたは、漢字が読めるようになりたいですか?」「加減乗除ができるようになりたいですか?」と聞かれれば、7割くらいの子供は「要らない」「欲しくない」「望まない」と答えるような気がします。

これは自身が6歳の頃何を欲していたかを思い出せば見当がつくと思います。

ところが、こういったことに関して本人の意思が過剰に尊重されてればどうなっていたでしょう?

もちろんある個人が、漢字が読めたり加減乗除ができるようになったことなんかがあまり役には立たなかったと思えるケースもあるでしょう。

たとえばホームレスが10年続いているとか、生涯刑務所からでてこれない重刑をくらってるとかです。

漢字が読めたり、加減乗除ができたりするより、やさしさや思いやりが大切だという見方も無論あるでしょう。

それは確かなのですが、本人の意思は場合によってはあまりに尊重されすぎると環境の適応に失敗する場合もあります。

「彼氏なんか要りません」

「彼女なんかいなくても死にはしないよ」

「結婚なんてムリにする必要ないよ」

まぁ、今日では男性だけではなく女性の多くも自己実現に価値を置いてる人が増えてるようですが、自己実現主義みたいな生き方も、たとえば小池都知事クラスの結果が手に入ればそれなりに元がとれるかもしれません。

これは、心理学を始めとするあちこちで読みかじったことなのですが、人間は本能が優勢になりすぎると、現状維持に傾くそうです。

そうすると、低位の現実(?)もここに長く置かれると、無意識や本能が優勢だった場合、この低位の現実(この低位の現実という概念は検討の余地がありますが、ここではあまり深く考えず、とりあえず人並み(?)を大きく下回っている境遇と単純化します)…この低位の現実に対しても現状維持の機制が強く働いてしまうのです。

社会ストレスはもちろん、多くの人に手放すことを要求するでしょう。

環境問題意識の向上は「ゴミをつくるな」を合言葉にするかもしれません。

すると人はミニマリストの傾向を帯びます。

しかしこのミニマリスト的な断捨離も、たとえば包丁一本で世を渡れる職人さんにおける包丁(技術)のようなものがあれば、余計なものを断捨離しても困らないかもしれませんが、凡人が過剰にミニマリストするとどうなるのでしょう。

ミニマリストの究極は、乞食やホームレス、刑務所から出てこれない人なのかもしれません。

いきすぎたミニマリストはどうしてもこういう境遇に近くなります。

ところで最初にはなした、本人の意思の尊重ですが、6歳のこどもの意思を尊重すれば、漢字の読み書きや、四則演算なんか必要ないと答える人が半分以上に決まってるのです。

本人の意思を尋ねれば

「彼氏?要らないよ、そんなの」「彼女?なくても困んないし、むしろあると困る気もするけど」

どんどんミニマリストになります。

不要なものをそぎ落とし、必要なもののみを残した生き方も、たとえば先ほどはなした小池都知事クラスの自己実現に至ればまた別です。

だから、それは結果にもよるのでしょう。

本人の意思はもちろん大抵の場合で尊重されるべきだとは思いますが、しかしバランスの問題だと思うこともなくはありません。

本人の意思が過剰に尊重されすぎて、ホームレスや刑務所から出てこれない人と類似の境遇になることも考えられなくもありません。

もちろん生産社会の平均的幸福とか周りの環境が絶対ではないので、いろいろな価値観や生存方式があってよいのでしょう。

気持ちの良い快適なミニマリスト暮しもあるでしょうし、持ちすぎのストレスに悩まされている人もいるでしょう。

しかし本人の意思が尊重されすぎると、うまくやれない場合は、本人が思ってるほどの結果は出せず、結果がでないことによるストレスその他から、今まで述べたような不本意なミニマリストになってしまう可能性もあるというはなしでした。

今回はこれで終わりです。

御一読どうもでした。

(あとがき)
今日いれてた派遣の仕事が昨日不採用になり、突然丸一日空いたのでnoteを書きました。
派遣労働の市場も大学生が春休みで仕事を取る競争率が上がっているのか、はたまた例の騒動で経済が縮小して、労働者の需要自体が下がってしまっているのかわかりませんが、最近派遣バイトもポチポチ不採用で蹴られる日がビミョーに増えています。
自己実現の例として東京都知事を挙げたのはたまたま昨日今日テレビなどのメディアで都知事をよく見かけたからに過ぎずべつに他の人でもよかったのです。それにしてしも、女性で結構大きい自己実現をしてる人って、バツイチだったり、独身だったりでパートナーがいない人も多いですよね。
まぁその分別のところは非常に充実してるんだとは思いますけど、こんなことを書いてるわたしも不本意なミニマリストに近いところをウロウロしてるときもあります。
自分の意思で人生を織り成すのもそれなりに大変なことかもしれません。
あとがきは、いつもどうでもいいことを中心に書いています。
本文だけだと、素っ気ないかなとたまに思うこともある次第です。

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