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悲願を負う人たち 『アルツハイマー征服』(下山進著)


デジタル大辞泉「悲願」の解説
ひ‐がん〔‐グワン〕【悲願】
1 ぜひとも成し遂げたいと思う悲壮な願い。「年来の悲願が実る」
2 仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。

ノンフィクションの名手である著者の今作は、夢や希望とはかけ離れたものを見せてしまうかもしれない。患者、医療者、研究者たちが文字通り命をかける血と汗と涙の物語は、1975年から始まる。

アメリカFDAが迅速承認した世界初のアルツハイマー治療薬アデュカヌマブのニュースは、今年6月に世界を沸かせた。人類にはいくつもの「なんとしてでも治せるようにしたい」という1悲願を持たせる病の上位にがんと共にあるのがアルツハイマー病だ。

病を治したいという1悲願は、まず患者本人が、家族など身近な人が、未来の患者(遺伝性など避けようのない人)がもつ。次にその人たちをみる医療者がもつ。そして手立てを講じる創薬の研究者やその関係者たちがもつ。新薬の誕生は、いわば一番下流で発生することだけれども、そこでは利益や名誉、政治などいわゆるドロドロしたものが渦巻いている。なんでそんなにドロドロしてしまうのか、ドロドロとは何かという一端が本書で見えてくる。

新薬の誕生は多くの人の1悲願であるがゆえに巨額の利益を生み出し注目を集めるが、そこまでにどれだけの金と人が投入されることか。恩恵を受けられないとわかりながら協力する患者が、研究の中止や会社の消滅、死も含め、去りゆく人たち――2悲願を背負う人たちがどんなにいることか。おそらくアデュカヌマブ承認のニュースだけでは、けしてわからないし想像もつかないと思う。

私は仕事で創薬の研究者や企業の人たちに話を聞く機会があるので、本書を読んであらためて彼らの話を思い出して、噛み直した。がん関連のものや臨床研究の人には必ず研究のきっかけや患者の話を聞いてしまうのだけれど、「なんとかしたい」が無いと感ぜられる人は、やはりいなかったと思う。

新薬は、どうやって世に出るのか。「救いたい/救われたい」という悲願の交錯するさまが本書に描かれている。

病める人は「少なくともこの苦痛が無くなれば」と願う。大部分の人たちと似たような未来を想いたいし、生きとし生けるものの一部分でありたい。けれど、たとえ特効薬を手にしても病と対峙することは難しくて、薬や治療で取り除くことができても、不幸や不運みたいなものはなくならないから、科学は難しい……。

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