アフター『急に具合が悪くなる』の世界へ①

磯野さんから第一便 「ゼロではない」こと

「急に具合が悪くなる」とは、どういうことなのかと磯野さんは立ち止まった。多発転移のあるがん患者の「急に具合が悪くなる」は、他の「急に具合が悪くなる」と、どんな違いがあるのか。そして、患者の体と病気について最も知っている専門家・主治医から告げられる「急に具合が悪くなる」は、確率や蓄積されたデータに基づく数字からあらわされる今と未来で、宮野さんはどう思いますかとボールを投げた。

私は「寛解して元気に暮らす」ことができているがん患者で「急に具合が悪くなるかもしれません」と言われたことは、ない。がんやそれ以外のやっかいな病気(重めのうつ病とか)で副作用等によって具合が悪くなるかもしれないと言われたことは数多くあるけれど、それが死に直行するものではないとされていた。でも、説明に添えられるのは「何割ぐらいの人が」「〇%の確率で」、あるいは優しく「だいたいはね」「~こともあるけどね」というもので、はっきりわかるのはゼロではないということだけ。「あるかもしれない」ではなくて「ないかもしれない」ぐらい。

そうすると、今ある苦痛は副作用がもたらしているのか(ゼロではない)、日常で起こった不具合なのか(ゼロではない)、不安な心がもたらした影響なのか(ゼロではない)、わからない。だんだん「これは苦痛ってやつなんだろうか?」と思うようになる。原因も対処すべき事柄も突き止められないとなると、自分でゼロにするしかなくなっていく…私の場合、それが二度の自殺未遂につながったのかもしれない。

宮野さんから第一便 リスク者は選択がキツイ

「急に具合が悪くなる」は普通の生活ではそんな可能性は示されないし、リスクを考える必要はない。けれど、宮野さんの「急に具合が悪くなる」は、「死」がぐっと近づいてしまった。でも「今ココ」ではなく、「今ココ」でない以上は未来(今まだ経験していない時間)があるのに、それを%や確率という数字をまとったリスクが選択肢を決めていってしまうのではないかと。でも、リスクを避けても背負っても、未来はわからない。“そのつどの選択と進行によって分岐の数や行く先をどんどん変えてゆく”(p29)からだ。数字で表される(あるいは現れる)未来は、今の私からはわからないものはずと返信し、確率の言葉から逃げるのはとても難しい今の社会を一緒に考えていきましょうとボールを投げ返した。

私はこの宮野さんの返信を読んで「そうなんです、選択ってリスクが添えられると特にキツイんです!」と思ったし、第一便にして、もうその話になるのかとハートを鷲掴みされた。磯野さんの書簡に例として挙げられた豊子さんのように、どんなに「正しく」選択しても未来はわからない。

確かにリスクを参考に、なるべく普通とか、苦しくないルートを選んでいくことはできるのだけれど、どれを選んでも100%オッケーはないし、やはりリスクはゼロにならない。これは、普通の生活でもあることだし(進学とか就職とか)他の病気でもそうなのに、ゼロではないリスクの先に「死」がくっきり見えると、深刻なことになるようだ。新型コロナウイルスにまつわることも、そうだろう。

私はステージIIAの乳がんで、標準治療(5年)と経過観察(5年)を経て寛解した、おそらく標準的なサバイバーだ。ただ、手術時33歳だったのでAYA世代なのが、少し厄介になっている。11年目に「もう普通の人と同じでええよ」と主治医に太鼓判をもらったけれど、普通の人よりちょっと高いリスクをまとって平均寿命までの40年間を進んでいかなければいけない。それは、医療でも生活にも少しずつ不具合があって、虎舞竜的には「なんでもないようなことがリスク背負った選択に」となることが多々ある。敢えて高リスクと分かっていても、その道を選ぶこともある(これは性分かもしれぬ…)けれど、たいていキツイ思いをする。キツイ中で選んだ道が外れだと、がっかり感も半端ないし、怒りや喜びや悲しみもあんまり他者と分かち合えない。だから、やっぱり独りで選択していくことになる…これが、いちいちキツイのです(;´Д`)。

キツさには「普通の人と同じで」と言われたからには、普通にやってくる加齢による諸現象がやってくるし、普通に病気もケガもする。確率で示されていた後遺症も出てくる(■%のほうに入っちゃった)。その度に「既往症による禁忌」とか「避けるべき」にぶつかるし、それを肩代わりしてくれるかもしれないサプリや代替療法も、いっそのことすがれたらいいのに「騙されへんで!」という意地もあり(あと、お金がない…)、キツイ。精神面での支えとなるかもしれない宗教やら占いやらなんちゃらトレーニングも、「ゼロにはならへんのやしな」と薄目で見てしまってキツイ。

とはいえ、選択に苦しまなくなったところも大いにある。アラフィフという年齢がもたらしてくれた部分も多いし、さまざまな知見のおかげもある。

困るのが自分より歴の浅い患者やサバイバーさんたちと話す時だ。私は今のところ、先輩がんサバイバーとしては優良だけれども、人生の先輩としてはかなりポンコツだからだ。ゴールド免許を持つ人がペーパードライバーだったりするのと似て、アドバイスを求められても詰まってしまう。君の未来はわからないことだらけだから、私のような人生を歩む可能性はないかもよと答えても、不安を与えてしまうだけになることもある。そして、未来を進むその人たちが何かを、どこかで選択する時に普通よりキツイ思いをすることだけはわかっているので、帰り道にこっそり涙が出たりする。

リスクを知るって何だろう

第一便で宮野さんは“食生活や生活習慣からリスクと可能性が示唆され、自己管理を徹底せよという未来がくる気がする”(p25)と書いている。磯野さんの『ダイエット幻想』のテーマでもあるし、大流行した(今もしてるのかな?)遺伝子検査がすぐ浮かぶ。でも、遺伝子情報が教えてくれるリスクだって「ゼロではない」だけじゃないかしら。

身近な経験では、2年程前に遺伝性乳がん・卵巣がんについて知る機会があり、私は主な3つの特徴のうちの一つ「40歳未満の若い年齢において乳がんを発症する」を持っている。そして、父が前立腺がんになったことを考えるとBRCA 遺伝子変異が陽性の可能性もあるのだな、と思い至った。

父は私の乳がん発症後にり患したのだけれど、よく主治医が「お父さんの治療はどんな感じ?」「お父さんの具合はどう?」と診察のたびに聞いてきて、なんだよぅ、私の心配をしてよ~と不思議に思っていたのだけれど、遺伝性乳がんの可能性を考えると、高齢の父の容体が私の経過を考える指標の一つになっていたのかもしれないと気づいた。幸い、2人とも10年超サバイバーでいるが、気づいたからには第2度近親者である兄弟と甥姪に知らせた方がいいのではないかと考えた。が、要らぬ不安を与えるだけかとも悩んだ。甥姪は若いから直接は言えないので、兄たちに伝えるべきなのだが、ただでさえ私のがんが「生活悪習慣による」と思っている節もあるし、父も私も無事に生きているところに必要なのかな?とも思った。発症するかはその人次第で、わからないのだから。
結局、「知ったからには伝えておこう、受け取り方はそれぞれでよろしく」と思って兄たちには伝えたが、甥姪が知っているかどうかはわからない。このリスクを高いか低いか、彼らがどう感じたかもよくわからないままだ。

不安なら調べればいいじゃない、とも

著名人ががんを公表して、闘病生活やその後のことがメディアで取り上げられるたびにキツイ思いをすることが多い。そのキツさの一つは「自分もがんになるかもしれない。あるかもしれない。どうしたらいい?」と聞かれることだ。あなたは元気になっているんだから、聞いてもいいよね的に、かなり無遠慮に聞かれることも少なくない。その度に心の中で「可能性は誰でもゼロじゃないよ」とぼやきつつ(たまに意地悪く口に出すこともあるけど)、ちゃんと健康診断のオプションであるがん検診を受けようねとか、心配だったら人間ドックに行けばと言うしかない。PET検査を受けたい!という不安の猛者もいたけれど、けっこうしんどいからオススメはしないよ~と言いつつ、「今のところゼロ」にできるなら受ければいいんじゃないのと答える。自費のPETドックとかもあるから、どうぞと教えたけど、たいていは10万円前後という費用を見て諦める人が多い…なんでやねん。

闘病中の著名人のブログをくまなくチェックし、テレビの報道を真剣に見てネットの検索を繰り返して、胃腸がおかしくなったり眠れなくなったりする不調が10万円で解消できるなら、安いもんだと思いますがね…とブラックジャックみたいなことを、苦く一人で呟いたりすることになる。

「いつ死んでも悔いがないように」という欺瞞

宮野さんが「いつ死んでも悔いがないように」という言葉は美しいけれど欺瞞を感じる(p31)と書いたところに、私は引っかかりを感じながら第一便を読み終える。“そのつど変化する可能性や、未来をまるっと見ることの大切さを忘れてしまうからではないか”と宮野さんは語るけれども、そこには安楽死や自死も含まれるのかしらと。それらの「死」から未来を逆算するように考える、ごまかしなんだろうか。
村田紗耶香さんの「余命」(『殺人出産』講談社刊に収録)のような世界は、どのように考えられるのだろう…

引っかかりながら、第二便へ。

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