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冬のイルミネーション

これは2014年頃に、ある文学賞に応募しようと書いたものです。神戸ルミナリエが始まったニュースを見て、日の目を見せることにしました。

「なんかさ、最近、いきいきしてるよね」
「そう? たしかに毎日、楽しいもんなあ」
「やりたかった仕事に就くと、そういうもんかねえ」

朝食をとりながら、夫は一人で納得している。確かに風邪を引くことが少なくなったし、会話も明るくなった。けらけら笑うことが多くなった。外見上は、メイクもあまり変わっていないし、服のテイストもそのまま、髪もショートカットのままだ。ただ、以前よりクローゼットの中身は充実している。美容院に行く頻度もちょっとだけ、多くなった。外に出て「見られる」と、流行に無頓着な私だって、欲が出てくるものなのだ。夫は私のスタイルを気にしたことなんてなさそうだけど、やはり見た目の変化に気付いただろうか。でも、この「いきいき」の理由は転職したからではない。

夫は先に家を出る。私は洗い物をしながら、今日は何を着ていこうかと思いを巡らせる。あのグレイのカットソーは少しタイトだから、あのブラジャーでないとね……ピアスは、赤系のものにしよう。もう秋なのだから、落ち着いた配色にしたい。

着替えをすませると、すっと背筋が伸びる。子どもの頃から猫背だった。とにかく筋力が足りないらしく、顎が前に突き出ていたのだけれど、最近はしゃんとできる。半年前から通い始めたピラティスの効果もあるだろう。こり固まった鎖骨周りがほぐれ、インナーマッスルというものが付きはじめている。普通に考えればそうなのだが、じつは本当の理由は違うのだ。もっと、単純なこと。それに出会う前、ほんの2年前までは布団から出るのが辛いぐらい、毎日だるかった。相変わらず猫背で巻き肩、好きでもない仕事を続けなければいけないと思いこみ、いつもうつむいて歩いていた。地下鉄出口の階段も、2度は休憩しないと地上に出られなかった。こんな、自信もなく張合いもなく、40代というのは始まるのか……と、ますますうんざりしていた。でも、そういうものらしいから、と自分に言い聞かせて納得する以外になかった。


出会いは、突然やってきた……わけではない。うんざりした日常でも、私は突破口を探していた。常にアンテナを巡らせていたせいか、それはぽん、と入ってきたのだ。それが私の求めていた突破口だと認識するのに大した時間はかからなかったと記憶している。私はすぐに行動に移り、首尾よく手に入れた。それに精通した人は、私にこう囁いた。

「これだけでね、ぐっと自信が出るの。びっくりするぐらいきれいになるわ。あなたはラッキーなのよ」

 そして、その人の言ったとおりだった。ほどなくクローゼットを整理し、古めかしくなったり、あんまり着たいと思わなくなったけれどもったいないと思っていた服をばんばん捨てた。断捨離というやつだ。この断捨離も雑誌で読んだ時はなんだか怖いな、なんて思っていたのがコロリと変わった。着たいものを厳選して、それだけを着るようになるとさらに背筋が伸びてきた。目線も心持ち上に向く。次に、転職をした。好きなものだけを身に着けるようになると、なぜかやりたくもない仕事がばかばかしく思えてきたのだ。その仕事に就いた時はかなりの不況で、職を選んでなぞおれなかったのだが、景気は少し変わった。自分自身のスキルも上がっているし、何よりも物おじしない性格が復活してきたのだ。これまたコロリと退職し、嘘のように理想の職場を探し当てた。そうなると、あとはとめどなく進んでいく。負のスパイラルとはよく言われるけれど、何もかもが正のスパイラル。遠慮も斟酌も妥協も必要ない。進みたい道を、大股で歩くのだ。
 
この夏はついにゆったりと襟の開いたカットソー・シャツを着た。さすがに深いVネックは無理だけれど、鎖骨を見せて女らしいラインを楽しめる。年齢のせいでいろんなところがたっぷりしてきたから、若いころに好きだったきゅっと引きしまったTシャツはもう着られないけれど、年齢相応のシルエットを楽しむことができるようになった。これだけでも大きな変化だ。ますます自信を得て、冬の初めにどうしても着たいものがあったから、挑戦しようと思う。別に、誰のために着るわけではないし、見られたいわけではない。ただ、私が着たいのだ。その服をまとって、ある場所に行くのだ――六本木ヒルズのイルミネーションに。

職場から地下鉄に乗って、自宅から反対方向に行くと六本木ヒルズだ。そこにある施設に何も興味はないけれど、冬になると100万灯を超えるLEDライトがきらめく様子がテレビで映し出されていた。じっさいにそこを歩いたことはないし、誘われたこともない。幻想的な景色はロマンチックで、若いカップルに人気だそうだ。人混みが嫌いな夫を誘う気は毛頭なかった。何よりも、分不相応だと――そう思っていた。若くもないし、ロマンチックに腕を組む恋人もいないし。こんなものは風物詩として、テレビで見てりゃいいわ、と。でも、なんとなく憧れというか、あの下を歩きたいという気持ちがあった。無数の電灯の下を歩くと、異空間にいる感覚を味わえることを覚えていたから。

その時にまといたいのは、モヘアのタートルネック。袖の短いセーターだ。季節的には何の役にも立たない代物なのはわかっている。寒くなり始めているのに半袖だし、かといってタートルネックはまだ暑苦しい。半端すぎて実用性はゼロという、私がもっとも嫌う衣料品だが、昔から不思議に惹かれるアイテムだった。ごく若いころ、安物を着たことがある。やっぱり寒いくせに暑苦しいという、どうにもならないものだった。しかも、ぽっちゃりした体型の私にはふわふわした素材が「もっと太く見える」という最悪の効果をもたらす。明るい色を選んだせいもあって、とにかく太さを強調する。2度ほど着てみたが、あきらめてバザーに出してしまった。けれど素肌にふわふわした素材が当たる気持ちよさは、忘れがたい。素っ裸で猫を抱くような、ちょっとした背徳感がある。44歳になろうかという小太りの女が着るものではない、とわかっているが着てみたい。ふわふわしているだけにシルエットはタイトなものを選ばなければ。下腹がぽっこりしてきて、まったく着こなせるとは思えないが、どうしてもまといたい。

11月に入ると六本木ヒルズのイルミネーションが始まる。イルミネーションというのはクリスマスのためのイベントだったはずだが、最近では2か月も前から始まってしまう。社会人になった頃、街にジングルベルが流れ始めるとあれが売れなくなる、これが売れ筋になるということを叩き込まれた。それでも、12月に入ってからだったと思う。1か月前倒しになれば、商品の流れも変わってしまっているだろう。思い返せば「クリスマスは恋人の季節」なんてことも、経験したことがない。そんなことを実践している連中はバカだと思っていたし、やっぱり今でもそう思っている。そうではなくて、私はきらめくイルミネーションの下を、大股で歩きたい、それだけ。腕をからませて上目づかいに甘える、なんてことは要らない。


イルミネーション、というものを初めて体験したのは、神戸のルミナリエだった。たしか日本で最初の光のイベントで、阪神大震災の復興イベントとして始まった。暗闇の中、光のアーチをくぐりぬける体験は強烈だった。ただでさえ違うものになってしまった、あの街。馴染んだ風景、雰囲気、そこにいる人々が違うものに感じられて、しばらく訪れることができなかった、あの街。でも暗闇の中では道路や建物、あらゆる空間の大きさが変わる。幅も高さも奥行きも。震災前と変わっていないはずの場所でさえ異空間だ。あの神戸であって、神戸ではない異空間。イルミネーション以外は暗闇だから、足元も同行者の行方もよく気をつけなければならないというのに、口をぽかんと開けて、上を向いてそろりそろりと歩いた。この街は、こんなふうに幻想的に、またひっくり返ることができる。たとえこの時間だけでも……夢うつつで歩き抜けた、あの空間。

この冬で44歳になる。ゾロ目だ。思えば、これまでゾロ目の歳はろくなことがなかった。11歳は、とにかく学校が嫌でずる休みばかりだった。学校に行っても勉強はおもしろくないし、同級生は私をばい菌扱いするのでぽつんと離れていなければならない。それなら放っておいてくれたらいいのに、何かのきっかけで袋叩きにされたりするのだった。わざわざ人と仲良くしないでもいいじゃない、という考えを抱きつつ、「助けて」を言えない者がいるのだ、ということを心に刻んだ。
22歳の頃、阪神大震災に見舞われた。自分がそこにいたわけではないが、神戸の大学に通っていたから、昨日まであったものが無くなるという強烈な体験をしたのだ。土地が、街が、人が、生活が無くなる。なんの落ち度も理由もなく、責める相手もなく奪われてしまう。何かのスイッチがかちりと切り換わった歳だった。
33歳が終わろうとする頃、がんの宣告を受けた。仕事も恋人も、何もかもうまくいっていない時期だったのに、まだ底があるのかと思うと笑いたくなったが、笑いごとではなかった。死に至るステージではなかったが、治療は5年がかりだと言われてびっくりしたものだ。それからの5年間はよく聞くがん治療の苦しさに比べれば厳しい治療ではなかっただろうと思うが、タフな期間だった。体の不調が心にも影響するのだろう、すっかり消極的になり、いろんな自信を失った。前を向くことが辛くなり、背を丸めてとぼとぼと歩くようになった。生かされていることに感謝して、とか生きているだけで儲けものなのよ、など言われながら、そんなもんじゃねえよ、とチラリと思うものの、何の反論もできない。反論を膨らませるエネルギーもなかった。まったく心に響かなかっただけなのに、自分が弱いに人間になって人様の言うことが理解できないだけなんだ、と思うしかなかった。

とにかくゾロ目の歳にはろくなことがない。

がんの治療が終わると、嘘のように元気になる……わけではなかったが、いったん50代の体を経て40代を迎えるにあたり、いろいろなんとかしたくなった。もう40歳、まだ40歳。交流のある同年代は、それぞれいきいきとしているではないか。もちろん、ハードワークで疲れ切った子もいれば、3人の子育てでてんやわんやしている子もいる。でも、彼女たちは俯いてとぼとぼ歩いたりはしていなかった。そんな暇も無く、持てるエネルギーをフル回転させて生きている。みんな前だけを見ているようだった。

そんな時に出会ったのがそれだ。それは、単なるブラジャーだ。片方の乳房の半分を取り除いてから、すっかり下着に興味を無くしていた。もうサイズがわからない。こんなおっぱいだから、別にブラジャーにお金をかける必要などないわ、と自分に言い聞かせていた。手術前につけていたものをまだ使っていて、さすがに伸びて古くなっているのだが、どういう基準で新しいものを買えばいいのか、さっぱりわからない。店頭に行くのもいやだ。ネット通販で安いものを、と思ってもサイズがわからない。片方は半分が無いのだから、正確に測れない。何もしていないほうは、どうやら手術前よりだいぶ大きく育っているのだけれど。どうしてもフィットしない。
いやだいやだいやだ。
どうすれば心地のいい下着を手に入れられるだろう?

そんな時、あるデパートに下着を選んでくれるコンシェルジュ・サービスがあるということを知った。彼女たちを束ねるのは、かなり年配の女性だという。もしかしたら、この人なら私に合ったブラジャーを選んでくれるんじゃないかしら、と感じた。こればっかりはそのデパートを訪ねなければならない。


都合のついたある日、初めてそのデパートの下着売り場を訪ねた。コンシェルジュたちを束ねる、その女性にフィッティングの予約をしておいた。売り場に入ると、その人が笑顔で迎えてくれる。まず、売り場をぐるりと回りながら予算などを聞いてくれた。そんなに高額なものは買えないけれど、とにかくフィットして、付け心地のいいものが欲しいんです、と頼んだ。そして、おずおずと乳がんで部分切除をしたので、こちらの乳房が極端に小さいんです、と伝える。その人はにっこり笑って言った。

「ああ、でも残すことができたんですね。あなたはラッキーですよ。ブラジャーであなたはきれいになれます。ずっと、きれいになれるんですよ」

 そして、採寸をすませてからいくつか選んでくれた。測ると健常側は手術前より2段階も大きくなっていることがわかった。あらまあ、長い間合わないブラジャーをつけてらしたのね。そう言ってその人が選んでくれたのは、かなり機能性の高いものだ。ぐっと寄せて、丸みをつくりあげてくれるタイプ。

「このシリーズは、お椀のようなフォルムにしてくれるんですよ。まずは試着してみてください」

試着室でおそるおそる着けてみる。手術側は無残なものだが、健常側はぴったりと収まり、所在が無かった境目が現れる。お椀の形になる。着け終わるとその人はいろいろひっぱったり寄せたりしてベストな形を示してくれた。

「どうしてもね、無いほうにずれてきますから、中心がずれるの。そうするとラインもよくなくなるし、肩もこっちゃうわね」

おっぱいに触りもしないで、服の上から採寸をしただけでこんなにぴったりとしたものが選べるとは、さすがプロの技だ。しかも、私が自信を失い、よろこびを失っていることもわかっている。

「いい? 無いものは補えばいいの。こちらは浮いてしまうから、パッドを入れましょう。何もパッド入れに入れなきゃいけないことはないの。ここに……2枚入りそうね。ほら」

 欠けたおっぱいも、がっちりとお椀型を形成するブラジャーにパッドを足せば立派なバストだ。ちょっと上からシャツを羽織ってごらんなさい、と言われて着てきたシャツを羽織る。盛り上がった胸。自然と背筋が伸び、胸を突き出すようになる。ぽっこりしているお腹よりもバストが大きいと、かなりスタイルがよくなることがわかる。自分でもぱっと顔が輝いたのがわかった。

「そうそう、今、デパートだけで発売している特別な柄があるんです。見てみます?」

その人が持ってきたブラジャーは、形は同じだが鮮やかなプリントがほどこされていた。華やかなブラジャー、というと総レースとかつやのあるサテンしか思いつかなかったが、それには鮮やかなブルーの空に赤やピンクの花が咲いていた。なんでも人気の女性カメラマンが作り出した画像をプリントしたのだという。そういえば、地のブルーも、花びらの色も微妙に変化のある色あいだ。着けてみると、特に白くもない私の肌によく映えた。そこだけ、晴天のお花畑のように。一般的なセクシーさも清純さもないが、機能性重視のブラジャーが自然の景色を備えるという、不思議なモノになっていた。ああ、足りなくなれば補えばいいんだ。人が見ていなくたって、ニセモノだって、楽しめばいいんだ。また、何かのスイッチがかちりと切り換わった。
 まだ私の給料では好きなだけ買える値段ではなかったが、すぐに華やかなものと無地のもの、2枚を購入した。その人は、最後に言った。

「工夫次第でね、いくらでも楽しめるのよ。そうすればぐっと自信が出るの。あなたは、びっくりするぐらいきれいになるわ」

 帰宅すると、すぐに古いブラジャーを捨てた。ついでに古びた他の下着類も処分した。本当に、そのブラジャーを着けると、女性らしいラインが楽しめる。少しピタっとした服でも差のあるバストは気にしないでいい……まるで完璧なおっぱいが二つあるがごとくなのだ。それだけ、それを着けるようになっただけでぐんぐんと快活さが復活してきた。服を着るのが楽しい。なら化粧するのも楽しい。外出も苦にならない。まあ、裸を見せることはないけれど、普通は40代にもなれば裸を見せたい相手もそうそう出てくるものでもないから、いつもの私がきれいに見えていればいいのだ。パッド2枚を詰め込んだ、欠けたおっぱいだってかまわないし、そんなことを誰も確認しようとはしないのだから。


「今日、会社の飲み会だから夕飯はいらないよ」
「そう、わかった。私、ちょっと寄り道して帰るわ」

 11月に入って1週間が過ぎた。もう六本木ヒルズのイルミネーションは始まっている。今日は水曜日、平日だからそんなに混むこともないだろう。決行だ。

 夫が出かけてから、先週買ったモヘアのタートルネックのセーターを着てみる。若い時の失敗を繰り返さぬよう、黒にした。それだけでは職場でも目立ってしまうだろうから、グレイのロングカーディガンを羽織る。濃いグレイのパンツを合わせ、トレンチコートを用意する。仕事で特別なことはないのだけれど、ちょっとドレスアップした感じにしたくて、大ぶりのコットンパールのピアスを選んだ。ブラジャーはもちろん、あのブルーに花柄の、運命のものだ。
 ふとこのファッションを夫が見たら、どう思うだろうかと頭をよぎる。でも、彼がこの姿を見ることはないだろう。彼が帰宅する頃には私は部屋着に着替えている。夫は、私が「着たい服」をまとった姿をこれまで見たこともないし、これからも見ないだろう。

60代ぐらいになると、とたんに女性の着るものが派手になる傾向があることを思い出した。極端な豹柄とか原色の服をまといだすような気がする。いわゆるオーサカのオバチャン・ファッションだ。もしかしたら、彼女たちも人がどう見ようと知るか、私は私の着たいものを着るんだと思ってのことなのかしら。どうせ着るなら人がドキリとするようなものを着てやる。若い時は体型やスタイルでドキリとさせたし、ちょっと自信が無くなったらがんばって稼いで、高価なブランドものを身につけて。それも過ぎたら、トラの顔をばーんと真ん中に据えちゃおう、とかなってしまうのかな。どうかと思っていたけど、ずっと着たいものだったのかもしれない。だって、彼女たちも胸を張って前を向いているもの。くすっと笑いが出て、もう一度姿見の中の自分を見た。まだトラの顔は必要なさそうだ。

点灯は17時だから、定時に仕事を終えて、到着する頃にはキラキラとしているだろう。その下を大股で、歩くのだ。今度のゾロ目は、ろくでもないことになんてならない。日常からすっと異空間になった、その場所で胸を張り、肩をそびやかせ、好きなものをまとって歩くのだ。誰も私のことを見ないだろうし、トレンチコートの下に何を着ているかもわからないだろう。
光の下を通り抜けて、私はゾロ目の運命を変える。

<終>


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